1979年10月号がの時刻表を見ると、高徳本線の急行は高松-徳島間の”阿波”が下り9本・上り10本、高松-牟岐間の”むろと”が上下共に3本運転されていました(上りの"むろと"1本は海部-牟岐間普通列車)。
ヘッドマークを貼り付けました。画像検索すると徳島方のキハ58が正面から見て左側、高松方のキハ28が正面から見て右側だった様です。(両面テープを小さく切り出すのは結構難しい感じです。)
1両だけしかなかったキロハ28が連結されていた急行列車は13往復(普通1本を含む)中、急行3往復と普通1往復(下り1番列車と上り最終列車)だけでした。検査入場の時はキロで代用していたのでしょうか。
キロハ連結でない阿波・むろとはキハ58+28+28が基本だった様です。
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