越美北線色キハ52と七尾線普通色のキハ58です。越美北線色のキハ52は同線へのキハ120導入に伴って1992年に越前大野から富山に移動しました。
2026年5月15日金曜日
1991~1992年 高山本線(Nゲージ) 富山界隈
2026年5月10日日曜日
1980年代前半 高山本線(Nゲージ)
高山本線普通列車です。キハ48は1979年7月から美濃太田で活躍を始めました。
キハ55は徐々に首都圏色に塗り替えられ、1984年2月までに廃車になります。
キハ55の後継はキハ58でした。
写真を見るとキハ58はクーラー付きの車両が多かった様ですが、キハ48との運用は電源が無くて冷房は使用出来なかったのでしょう。
ひさしぶりにキハ8200北アルプスを出してきました。
台車と床下を塗装しておいた甲斐がありました。なかなか良い感じです。
参考にさせていただいたHP・ブログその他(敬称略): 津島軽便堂写真館、まっさん。onX、akaの鉄道最新撮影&秘蔵記録、Wikipedia、きはゆに資料室、その他
2025年9月7日日曜日
2008年 高山本線(Nゲージ)おわら臨
毎年9月1日から3日に富山市八尾町で行われるおわら風の盆に合わせ、高山本線富山-越中八尾-猪谷には多数の臨時列車(通称”おわら臨”)が運転されています。2008年には実に29往復の臨時列車が運行されたそうです。
2025年9月5日金曜日
2010年 高山本線(Nゲージ)富山口
2006年6月から2011年3月まで富山市の社会実験による富山-越中八尾間の列車増発に使用されたキハ58です。
ネット上で公開されている数々の貴重な記録を拝見しているうちに、いつの間にか、まるで自分がかつて見に行った事がある様な錯覚を覚えます。
歴代高岡色の中で一番垢抜けていたと思うこちらの塗装ですが、経年時の退色が結構激しかった様です。
キハ58は急行色と高岡色が2両編成1本ずつでしたが、たまに混色編成も見られた様です。
参考にさせていただいたHP・ブログ(敬称略):国鉄色祭り、NOZVAN、ビバ☆国鉄型!、東京のアライグマのページ、神のホームページ、鉄道情報館、鉄橋のある鉄道風景のblog、鉄道ホビダス、その他
2022年11月18日金曜日
1990年代 高山本線 富山口(Nゲージ)
高山色のキハ23・52・58を中心に1990年前後の高山本線JR西日本区間を再現してみました。
高山色キハ23と越美北線色キハ52の2両編成が鉄橋を渡ります。
こちらは神岡貨物風DE10重連です。
タキ7750とタキ29300代用のタキ3000(いずれも日本陸運産業)は連結面の広さが気になって、アーノルドカプラーをTNカプラー0391に交換したのですが、TNカプラーは連結器の噛み合いが固すぎて、切り離し時にカプラーポケットからカプラー本体が外れそうになります。なので元のアーノルドカプラーに戻しておきました。
塗り替え過渡期には高山色キハ52と首都圏色キハ23の組み合わせもあった様です。(首都圏色キハ23は国鉄仕様なので、JRアンテナを取り付けていませんが。)
475系北陸色やキハ58能登路色も登場させました。
当時はJR西日本キハ58とJR東海キハ48の併結運用もあった様です。
キハ2両編成と475系3両編成です。ちなみにキハ52 125は高山色だった時期と越美北線色だった時期の両方があるそうです。475系はその後、2015年3月まで活躍しました。
485系特急列車が通過して行きました。
2022年10月13日木曜日
1980年 高山本線(Nゲージ)キユニ26首都圏色
1975年から活躍を始めた高山本線のキユニ26は比較的早くキユニ28に置き換えられ、1979年には4両のうち3両が転出、残りの1両も1982年に転出しました。最初に転出した10は一般色で大分に行ってから首都圏色に塗り替えられたそうですが、11から13は美濃太田時代に首都圏色に塗り替えられた姿をネット上で見る事が出来ます。
短い活躍期間だったので、ネット上で見られる画像はそれほど多くありませんが、そんな中で”汽車・電車 1971~”HPには、1979年の美濃太田駅、1980年の白川口周辺の素晴らしい画像が沢山掲載されています。
美濃太田駅から10両編成で出発する下り普通列車の画像がありました。おそらく時間帯は昼前後だと思われますが、一部はどこかで折り返す回送編成だったのかも知れません。
ホキ2200というと幹線の貨物列車に数両まとめて連結されていた印象ですが、”津島軽便堂写真館”HPでは、DD51牽引の貨物列車にホキ2200が1両だけ連結されている画像がありました。
当時の高山本線の貨物輸送の様子は、”日本の鉄道貨物輸送と物流”HPと”懐かしい駅の風景~線路配線図”ブログがとても参考になります。1980年頃の高山周辺の貨物扱い駅は飛騨一ノ宮、高山、上枝、飛騨古川でしたが、1両だけのホキ2200はどこ行きだったのでしょうか。
気動車ファンでないと、キユニ26もキユニ28も区別はつかなそうです。
2022年8月14日日曜日
1993年 高山本線(Nゲージ)
高山本線西日本区間のキハ58富山色です。高山駅まで乗り入れていました。
1996年のキハ120投入まで活躍しました。
キハ52とキハ23です。
1989年登場のキハ85も引退が始まりました。
1991年から登場したキハ58アコモ車と飛騨古川で並んでいたのでしょう。
2000年頃まではキハ40東海車も富山まで乗り入れていました。
もう30年近く前の風景でした。
2022年5月24日火曜日
1980年代半ば 高山本線(Nゲージ)ひだ・北アルプス・のりくら
1980年代半ばに高山本線で活躍した列車を模型で再現してみました。(レイアウトの都合で全体に編成は少し短かめです。)
特急ひだ
手元にある1980年4月号の時刻表を見ると、当時は名古屋-高山間を3往復、名古屋-金沢間を1往復の計4往復でした。名古屋-金沢間を走るのは名古屋発15:30の下り最終7号と金沢発6:18分の上り2号で、約5時間かけて走っていました。
普通列車
キユニ28連結の普通列車です。美濃太田のキハ55は1982年から83年(一部84年)に廃車になっており、キハ58に置き換えられました。キユニも1984年の鉄道郵便輸送廃止までの活躍でした。キハ58はクーラー付でしたが、キハ48との組み合わせでは使用出来ずでした。
急行のりくら
こちらは5往復でした。下り1号富山行きは”急行おくみの”北濃行きと季節運転の”急行うなづき”宇奈月温泉行きを併結、3号は富山行き、5号は下呂から普通列車になる高山行き、夕方の7号は金沢行き、深夜発夜行の9号金沢行きは季節列車の”急行むろどう”立山行きを併結していました。またその他に大阪と飛騨古川を結ぶ”急行たかやま”も1往復走っていました。
貨物列車
DD51牽引の貨物列車が走っていました。Wikipediaで調べると、主な駅の貨物取扱廃止は美濃太田1982年、飛騨一ノ宮1995年、高山1986年(上枝の石油輸送は1995年まで継続)、飛騨古川駅1984年でした。
北アルプス
神宮前-飛騨古川間1往復でしたが、季節運転で立山まで足を伸ばしていました。
立山まで行った編成は、翌日の上り北アルプスに併結して帰って来る運用でした。
当時、高山本線に乗る機会はありませんでしたが、今から考えるといろいろな列車が活躍する夢の様な路線でした。
<再編集>