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2026年5月22日金曜日

1974年 宗谷本線(Nゲージ)名寄駅 321レ・324レ

 宗谷本線324レです。

駅舎にちょっと手を加えました。

一部屋根を手直して駅名標を付けました。

クルクルパー付きでスカートの無い夏姿のC55が軽快で良い感じです。排障器はKATOのD51用先台車から切り落として接着しています。


交換のC57牽引の321レが来ました。


1日一度のさいはて鈍行の交換はさぞかし壮観だった事でしょう。

324レが出発して行きました。
屋根がこの塗分けのマニ36は実物同様にキャンバス押さえを撤去し、末期は宗谷本線で活躍したマニ36 2222に改造しようかと思いましたが、実車はオハ35改造でリベットがありませんでしたので諦めました。

稚内に向けて走り去って行きました。

構内にはトラ塗り9600が停まっています。

ネット上では321レ、324レを追った貴重な写真の数々を見る事が出来ますが、特に冬場は結構過酷な条件だったんだのでしょう。

324レが出発します。

一路旭川に向かいます。

おまけです。急行天北が来ました。


キハ22普通列車です。


参考にさせていただいたHP・ブログ(敬称略):思いで鉄道探検団、一睡の夢・国鉄末期の12年、THOSE WERE THE DAYS、YASUZIROのきままに撮影、わが国鉄時代2、その他

2025年7月22日火曜日

1970年 宗谷本線(Nゲージ)急行利尻

 C55とオロハネ10が入線したので、1970年の急行利尻を再現してみました。

ネット上で調べるとC55が急行利尻を牽引していたのは1970年12月までという記事と1971年6月までという記事がありました。

さいはてのC55を追いかけて撮影された貴重な数々の写真を今もネット上で沢山拝見する事が出来ますが、夜行列車の急行利尻を明るい時間帯に撮影出来るのは、下り列車の早朝の稚内周辺だけだった様です。

模型の客車は代用したものが多くなっており、編成を短くするのに普通車をちょっと減車しています。

スロ54の代わりはスロ62です。スロ54とスロ62は窓サッシが木製かアルミ製かが見た目の大きな違いの様です。

オロハネ10です。屋根はつや消しクリア仕上げにしたのですが、意外につやがあります。

1両だけ連結されていたB寝台車はスハネ16だった様ですが、こちらはオハネフ12で代用です。

スユニ61です。荷物車は保護棒が灰緑印刷のトミックスの方が好みだなぁといつも思いますが、買い替えるのも何なので今更発売して欲しくないです。

マニ60です。

出発してゆきました。

なんとか7両編成にまとめましたが、実物は最大11両編成だったそうです。

14系客車になった後の急行宗谷はこちらです。⇒1985年 急行宗谷

参考にさせていただいたHP・ブログ(敬称略):ARC資料館、蒸気機関車がいた時代、なつかしの鉄道写真館、赤い電車は臼い線、時刻表置き場、DRFC-OB デジタル青信号、村の模型屋、1970年代 北海道鉄道写真、MY FAVORITE THINGS こんにちは。O型台風のホームページへようこそ!その他多数

2025年7月17日木曜日

1973年 宗谷本線(Nゲージ)321レ・324レ

 宗谷本線の人気列車324レです。


急行礼文です。防寒性能が劣るキハ55・26ですが、夏季は宗谷本線でも使用されていた様です。

C55がスルスルと走って行く様子がよい感じです。


急行宗谷です。(ちょっと短い?)

キハ22です。

321レです。

C5787(模型は97号機で代用)です。1972年に福知山から苗穂、1973年に旭川に転属し、1975年に廃車になりました。C55ファンにはちょっと人気がなかった様です。


上下の324レと321レは名寄で交換していたそうです。

参考にさせていただいたHP・ブログ(敬称略):mr.slimのPHOTO BLOG、宗谷本線(国鉄時代の蒸機列車と風景)、思い出鉄道探検団、デゴイチよく走る、D51338のほぼ蒸気ブログ “NO STEAM, NO LIFE“、その他

2024年7月30日火曜日

1973年 宗谷本線(Nゲージ)急行礼文

 宗谷本線の旭川と稚内との間を1往復していた急行礼文です。所定はキハ56+キハ27の2両編成ですが、1973年8月にキハ26が連結された3両編成で運転されている姿を、Mr.SlimのPHOTO BLOGで拝見する事が出来ます。当時、正面助手席窓下のナンバー表記は無かった様です。


夏の多客期増結と思われます。ちなみに元々北海道向けでないキハ26は、さすがに冬期の宗谷本線では運用出来なかったでしょう。

当時の時刻を見ると、夕方に稚内に着いた下り天北の一部車両が上り礼文として旭川に向かい、翌朝、旭川を出発した下り礼文がお昼前に稚内を出る上り天北に連結された様です。

参考にさせていただいたHP・ブログ(敬称略):Mr. SlimのPHOTO BLOG、トレインマーク事典・別館-愛称別トレインデータ館、ARC資料館、時刻表置き場、その他

2024年4月12日金曜日

1980年宗谷本線(Nゲージ)321レ・324レ 再登場

 スユニ60入線を機に、宗谷本線下り321レ・上り324レ再登場です。

客車は稚内寄りからスハフ32+スハ62+スユニ60+マニ60(36)の4両編成です。(スハフ32は電暖付きナンバーですが、)

オハ62は先日整備した温気暖房機付き五能線仕様です。

こちらのスユニ60は0番台です。北海道向けは200番台で、旭川では1979年からスユニ50に置き換えられ、最後の1両が廃車になったのは1982年3月でした。 

マニ60(36)は隅田川客貨車区所属で、墨田川から東北本線、函館本線、宗谷本線を走破していた青函航送運用車だったそうです。

上り324レです。(背後に見えるワフ121000は1975年までに廃車になっているのでちょっと場違いでした。後から気付きました。)


1980年4月号の時刻表を見ると下り321レは旭川11:21発-稚内19:03着、上り324レは稚内7:56発-旭川15:45着でいずれも快速列車でした。

2組の編成がそれぞれ2日かけて1往復していました。

魅力ある列車でネット上の写真や資料も多く、また登場させたい321レ・324レです。カラフルな1984年バージョンはこちらです。⇒1984年324レ

参考にさせていただいたHP・ブログ・雑誌(敬称略)おっちゃん鉄道のページ思い出鉄道探検団、懐かしの蒸気機関車写真館、としの鉄なお部屋、ねこおやじのアルバム、O型台風のホームページへようこそ、わが国鉄時代2鉄道ホビダス、Rail・Artブログ、Monochromeの北海道 1966-1996 そしてEktachromeの頃、'80s 国鉄時代の写真館、鉄道ピクトリアル


2023年5月12日金曜日

1982年 宗谷本線(Nゲージ)323レ・322レ、急行なよろ、その他

旭川客貨車区には1981年12月に51系客車が配置され、函館本線と宗谷本線旭川-名寄間の運用に入りました。

51系客車の上り322レは名寄からの始発列車で、名寄5:42発-旭川7:38着でした。


気動車は既に1977年からキハ40が旭川に配置されていましたが、まだまだキハ22が活躍していた筈です。

もう1本の51系客車列車、下り323レは旭川17:29発-名寄20:02着です。上り322レよりも随分時間がかかっています。途中、士別に18:59に到着してから36分間の長時間停車がありました。その間に19:00名寄発の314D急行なよろ4号との交換を行っています。

323レの客車は名寄で一晩明かしてから翌朝の322レで旭川に戻っていました。

急行なよろはキハ56+キハ27+キハ27の3両編成だったそうです。(札幌発着の2・3号の函館本線内は増結有り。)

1982年といえば鉄道趣味から離れていた頃ですが、インターネット時代の今、諸先輩方の貴重な記録の数々を拝見しながら、模型で過去の情景を楽しむ事が出来ます。とても素晴らしい事です。

参考にさせていただいたHP・ブログ:Monochromeの北海道1966-1996そしてEktachromeの頃、「はなぶさ」に集まる仲間たち、ARC資料館、きはゆに資料館、その他