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2026年2月22日日曜日

1978年 因美線(Nゲージ)梨輸送臨時列車

1986年の荷物列車廃止まで、松崎駅や鳥取駅を拠点に山陰本線・福知山線を経由して大阪まで梨輸送臨時荷物列車が走っていました。

1977年から1978年に因美線鳥取ー津ノ井間でDE10牽引の貨物列車に梨輸送用の荷物車が数両増結されている貴重な記録がくるーりワンマン写真館様HPにあります。おそらく郡家駅(1982年貨物輸送廃止)からの出荷でしょうか。その中でも印象的な黄緑6号のヨ5000が連結された姿を再現してみました。

1979年に鳥取にキハ47が配置される前、まだキハ17が連結されている普通列車です。

もう一度、二十世紀梨色のヨ5000です。


貨車と客車が連結された梨輸送混合列車は結構お気に入りです。前回はこちら⇒因美線 梨輸送臨時列車

参考にさせていただいたHP・ブログ(敬称略):くるーりワンマン写真館、facebook鉄道の街米子 「米子の鉄市(てついち)」 実行委員会、タタールのくにびき、その他

2026年1月26日月曜日

1994年 因美線(Nゲージ)ディーゼルカー

扇形庫がなくて規模も小さいのですが、ちょっとだけ津山鉄道部の雰囲気です。

首都圏色と津山色の組み合わせが、なかなか良い感じです。

急行砂丘です。(ヘッドマークが2代目のままです...)

アングルを変えてみました。

津山色キハ40と首都圏色キハ47が交換します。


因美線にはキハ40やキハ53の単行だけでなくキハ47×2両編成も走っていました。

キハ58+キハ28の2両編成が入る事もあった様です。

登場から50年近く経っても更新工事を受けてまだまだ活躍しているJR西日本のキハ40系です。


参考にさせていただいたHP・ブログ(敬称略):津島軽便堂写真館、馬鹿は煙と高いところが好き、五条川鉄道写真館、思い出MEMORIAL PHOTO ALBUM、その他

2026年1月13日火曜日

1993年 因美線(Nゲージ)急行砂丘 その2

 急行砂丘、2編成目です。

キハ58 7211

トミックスのキハ58急行砂丘セット4両編成ですが、キハ58M車+キロハ28+キハ65の基本3両編成にキハ58T車が付属していますので、急行つやま(キハ58+キロハ28+キハ58 ヘッドマーク無し)も再現出来る様になっています。

キロハ28 103

キハ58T車にキロハ28とキハ65を用意するともう1編成出来るなぁ。と思って、市場に豊富に出回っていたバラ売りのキロハ28とキハ65をついつい入手してしまいました。

キハ65 68

増結編成中間車用なのでヘッドマークはなし。ライトウェザリング仕様です。


製品のシートパーツ成型色はかなり薄い色なので、窓の間隔とずれた座席の背もたれが目立ちます。一旦分解してこげ茶色に塗っておきました。(実際は写真で見るよりももう少し濃い色です。)

キハ58 1120 M車

増結用キハ58に手持ちのモーター付きパノラミック窓車を再整備しました。

純正インレタ仕様だったのですが、


社外品のインレタに交換してATSマークを付け、半光沢クリア仕上げにしておきました。

後位妻面の標記も付けておきます。黒塗り幌に交換しておきました。

整備完了です。

砂丘色と国鉄急行色の混結がなかなか良い感じです。

増結車にキハ58+キハ28が使用される事もありました。

砂丘は1日5往復に対して3本使用だったので、アコモ改善車の予備編成がばらされて増結にまわる事もあった様です。

約30年前の風景です。


参考にさせていただいたHP・ブログ(敬称略):裏辺研究所、国鉄色祭り、COLOR BREEZE、nampinaの日記ー気の向くまま撮影記、YouTube鉄道mellow.こんなのよく残してたねTV、その他

2026年1月11日日曜日

1993年 因美線(Nゲージ)急行砂丘 その1

 トミックスキハ58急行砂丘セットを整備しました。

それまでのキロ28に代わってキロハ28が組み込まれた1988年3月以降、急行砂丘はキハ65+キロハ28+キハ58の3両が基本編成になります。1992年9月には座席と外部塗装が変更されたグレードアップ車、キハ65+キロハ28+キハ58の3両編成4本が投入されました。

キハ65 80

鳥取方先頭車です。写真ではちょっと分かり辛いですが、屋根と床下は殆どウェザリングせずに仕上げました。

キロハ28 101

グリーン・普通室合造車です。鳥取方のキハ65側が普通室、岡山方のキハ58側がグリーン室です。屋根・床下共に軽くウェザリングしてあります。

キハ58 7209

岡山方先頭車、モーター車です。床下と屋根上排気口周りをごく軽くウェザリングしておきました。

津山色キハ40との並びが良い感じです。

1997年11月に急行砂丘は廃止されます。その時点でキハ65×4両、キロハ28×2両、キハ58×1両が廃車になり、残ったキハ58×3両とキロハ28×2両が急行つやまで使用されました。1999年12月改正の急行たかやま廃止後は最後のグリーン車連結急行列車として2003年10月ダイヤ改正まで活躍しました。

急行砂丘ヘッドマークは1985年3月に登場、1992年7月に2代目ローマ字表記入りヘッドマークになり、1994年3月からは3代目のダイヤモンド型マークになっています。

参考にさせていただいたHP(敬称略):急行「砂丘」記念館、きはゆに資料室、J鉄局の鉄道ブログ、ポムonX、その他

2025年9月22日月曜日

1979年 因美線(Nゲージ)ディーゼルカー・貨物列車・客車列車

手元の時刻表1979年10月号を見ながら当時の因美線の様子を振り返ってみました。

国鉄時代の因美線普通列車の姿はネット上で殆ど見られないのですが、”鉄じいじの鉄の想い出Youtube”で1974年の因美線を走るキハ26とキハ17の写真を見る事が出来ました。西鳥取のキハ17が引退したのは1979年の夏です。

1979年春にはキハ40とキハ47が西鳥取に新製配置され、活躍を開始しています。

キハ26が西鳥取から最後に引退したのは1982年でした。

貨物取扱いは郡家と智頭で1982年まで続けられていました。おそらく智頭から鳥取側だけの運転だったのではないかと思います。

そんな中で貨物列車に荷物車が連結された20世紀梨輸送臨時列車の貴重な写真を”くるーりワンマン写真館”で拝見する事が出来ました。今回一番の大発見でした。少なくとも1983年までは山陰本線沿線からの荷物車と合わせて大阪や汐留に送られていたそうです。

急行列車は大阪からの”みささ”、岡山からの”砂丘”が因美線内は単独あるいは併結運転されていました。

それぞれにグリーン車を連結した併結列車が山間部を最大10両編成で走っていたそうです。陰陽連絡路線として重要だった当時は津山線直通の岡山-鳥取間普通列車が5.5往復走っていました。


郡家から分かれる若桜線の列車はすべて鳥取から直通していました。朝の1本は急行気動車列車の間合い使用でグリーン車付きです(時刻表にグリーン車マークが付いているので、グリーン料金を払って乗るお客さんもいたのでしょうか。)客車列車はかろうじて日中と夕方の2往復が残っていましたが、1982年6月末で引退しました。

”時遊館ブログ”で拝見する事が出来た印象的な智頭駅の風景を真似してみました。

参考にさせていただいたHP・ブログ・動画(敬称略):くるーりワンマン写真館、 YouTube鉄じいじの鉄の想い出、懐かしい駅の風景~線路配線図とともに、facebook・鉄道の街米子 「米子の鉄市(てついち)」 実行委員会、時遊館ブログ、きはゆに資料室、ARC資料館、Wikipedia、その他