2026年6月15日月曜日

キハ30・35(Nゲージ)トミックス 朱色5号

 買い込んであったトミックスのキハ35首都圏色を整備しました。

キハ30M車×1両、キハ30T車×2両、キハ35T車×2両です。手持ちのキハ20M車を使用して3両編成×2本にします。国鉄末期の相模線・八高線風でJRアンテナは無しにしました。

<1編成目>

キハ30 14

前面補強板有り・原型シールドビームです。北総電化で千葉から高崎に転じてその後長く活躍、JR化後に茅ヶ崎に移動しました。

キハ35 108

大宮から高崎を経て、JR化後は茅ヶ崎で活躍した原型シールドビーム・補強板有りです。最初は補強板無しにしようと思って調べると、八高線・相模線で補強板なしのタイプは1970年代後半にはいたようなのですが、JR化後は補強板取り付けと国電型(103系用)2灯シールドビームへ交換されたものが多かった様です。

キハ30 30

M車です。相模線で長く活躍し、JR化後の1991年に高崎に転じました。前面補強無し・原型シールドビームです。

<2編成目>

キハ30 80

前面補強付・原型シールドビームですが、朱色5号に塗られたタイプです。


美濃太田から1982年に八王子に来て1991年の廃車まで相模線で活躍しました。

キハ35 110

補強板有り・原型シールドビームです。新製配置は高崎でしたが、JR化直前の1986年に茅ヶ崎の転じ、1991年の廃車まで活躍しました。

キハ20 213

今回、M車は1両しか導入しなかったので、2編成目は昔から在籍しているキハ20を組み込みました。八王子から高崎を経て真岡に転じたナンバーです。実車は真岡駅に保存されています。


KATOのキハ35系と共に一緒に活躍させる予定です。

参考にさせていただいたHP・ブログ(敬称略):景図工房、かた44たかonX、線路は続くよどこまでも、きはゆに資料室、汽車・電車1971~、70's Railway、その他

2026年6月12日金曜日

1970年 吉都線(Nゲージ)混合列車

 D51標準型とC574次型が揃ったので蒸機時代の吉都線の雰囲気です。

D51453号機は1970年から1974年の廃車まで吉松機関区所属でした。人吉区のD51と違って吉松区のD51は重装備ではありませんでした。

吉都線はC55の他にC57も活躍していました。

でも調べてみると4次型は都城区にも吉松区にもいなかったので、吉都線では走っていなかった様です。


Train View 鉄道写真集様HPの素晴らしい混合列車の編成をコピーしました。

この列車、早朝のD51牽引の貨物に小林駅からオハユニ61を増結する列車だった様です。


オハユニ61+ヨ6000の次は木造の有蓋車、側面のアングルの数からワム3500ではないかと思います。その次のちょっと背が低い有蓋車はワム70000、その次は背が高いのでワラ1、そしてその次はワム80000に見えます。

もう1両の木造有蓋車もワム3500の様ですが、1両しかないのでワム50000で代用です。次にまたワム80000、その次は似た有蓋車2両ですが微妙に高さが異なります。ワム60000とワラ1にしました。

無蓋車は木造で妻板の形からワム45000、ワム90000を挟んだ3両は屋根の高さからワラ1、そして最後の1両はよく見えないのですが、ワフ29500(29000)かワフ35000の様です。

D51が牽く旅客列車もありました。

気分はすっかり吉松駅です。(貨物上屋の柱を折ってしまって修復中です...)

参考にさせていただいたHP・ブログ(敬称略):My Old Steamers、デゴイチよく走る!、D51338の ほぼ蒸機ブログ “NO STEAM, NO LIFE!”、mr.slim の PHOTO BLOG、蒸気機関車がいた時代、G鉄グラフィティ、DRFC-OB デジタル青信号、昭和の記憶と復活蒸機、pleiadesの蒸機機関車写真館、Train View 鉄道写真集、ぞうまさの昔の鉄道写真集、私の中央西線-汽笛山峡に谺す-、 会津の自然と汽車 & 北信の田舎暮らし、汽車・電車1971~、懐かしい駅の風景~線路配線図とともに、その他

2026年6月10日水曜日

D51453(Nゲージ)標準型

 D51標準型、2025年再生産された製品です。

453号機にするに当たって柏西口第一公園まで保存機を見に行きましたが、ディテールを再現する訳ではないので、ただ見に行っただけでした。

ちなみに昭島市の昭和公園(立川市の昭和記念公園とは別)に451号機を見に行った事もあります。

煙突の前に横置きに取り付けられた給水温め器が恰好良いと思っていたのですが、「栄光の蒸機機関車D51」という本を子供の頃に買ってもらったら、なめくじドームのD511の物語だったので、ちょっとがっかりした覚えがあります。

2026年3月にリニューアルオープンした青梅鉄道公園には452号機が展示してあるそうなので、いつか見に行こうと思います。

北海道型に比べて改良され、ナンバープレートをランナーから切り離すのが容易になったので、取り付け易くなりました。



2026年6月8日月曜日

D51397(Nゲージ)北海道型


北海道型のこちら、D51320号機にしていたのですが、気付いたらナンバープレートが1枚無くなっていました...。

ナンバープレートのASSYパーツは売り切れでしたので、手持ちナンバーの397号機に交換しました。

KATOの蒸機機関車は気持ちの良い走りです。 


2026年6月5日金曜日

C57 192(Nゲージ)4次型 先輪交換

 C57 4次型の先台車の2軸目をプレート車輪に交換する為、待ちに待ったKATO C62北海道型ASSY発売ですが、いざ手に入ってしまうと、そのまま5か月近く経っていました。

そろそろ交換しようと思い、作業に取りかかります。

2017-2D3、ホビーセンターカトーや大手量販店ではもう売り切れていました。

先台車は取りつけたままでスポーク軸を取り外して、その後にプレート車輪をはめ込むだけです。

デフの角が45度に切り欠いてあって、キャブ出入り口のドアが外してあり、変なC57だと思っていましたが、見慣れてくるとC59に比べて細身のボイラーと長い煙突がなかなか恰好良いです。


正直言ってスポーク車輪もプレート車輪も近くでよく見なければ分かりません。

参考にさせていただいたHP(敬称略):Nゲージ蒸気機関車、オフのデスクトップ、DRFC-OB デジタル青信号、その他







2026年6月3日水曜日

1983年 根室本線(Nゲージ)442レ・急行ノサップ

根室本線442レです。3年半ぶりに走らせます。


銀色の屋根が目立つオユ10ですが、ねずみ色1号に塗って落ち着きました。
1984年2月の廃止前はマニ50が連結されていました。 オハフはアルミサッシ車です。

そしてコキ10000です。

ちなみにコキ10000は441レ、442レ専用なので、2両しか在籍していません。

宗谷本線の321レ・324レ、釧網本線と根室本線の混合列車はとても魅力的です。

急行ノサップは普段は2両編成だった様です。

多客時は増結されていました。
キハ40です。

ちなみに”急行ぬまさい”という列車が走っていたなぁ、と思ってしらべたら、”ぬさまい”の間違いでした。釧路に有名な「幣舞橋(ぬさまいばし)」というのがあるそうです。

結構カナ表記には弱くて、普通列車”はたやま”だと思っていたら”はやたま”だったり、”ヤフオク”の事はしばらくの間”ヤオフク”だっと思っていました。(もちろん、高校の世界史の成績も散々でした...。)

ちなみに1981年にはマニ36が連結されている画像がありましたが、これも混色具合がなかなか良い感じです。

参考にさせていただいたHP・ブログ(敬称略):マル鉄鉄道写真館2、遠い絵模様、backwards on X、1980年代国鉄撮影日誌、「はなぶさ」に集まる仲間たち、RIBERO’s PHOTO GLLERY、少し昔の+今の北海道の鉄道、Yassan-KYOTO@長時間通勤復活、てんぽく(2K)onX、こめやのかめやon壁紙館、釧路の鉄道少年、Wikipedia、その他


2026年6月1日月曜日

1982年 標津線(Nゲージ)

 標茶駅から標津線に乗り換えます。

キハ22単行です。

中標津からはコンテナ貨車を2両連結した貨物列車が見られました。蒸機時代からよく見かけますので、定期的にコンテナ出荷される貨物があった様です。

2両編成の気動車も見られました。

時々、貨物列車にホキ2200が1両、連結されていました。計根別駅の側線にホキ2200が停まっている画像を拝見する事が出来ます。


キハ40単行です。

こちらはキハ24です。釧路には郡山から池田を経由してやってきたキハ24が2両いました(1989年旭川に転出)。ネットで標津線を走る貴重な姿を見る事が出来ました。

参考にさせていただいたHP・ブログ(敬称略):

なめくじ会写真館汽車電車、note雨男、ローカル線の回顧録、「はなぶさ」に集まる仲間たち、1982年北海道旅行で夜行19泊!、鉄のガラクタ箱、てんぽく(2K)onX、ローカル線の回顧録、きはゆに資料室、その他