2026年6月17日水曜日

キハ30・35(Nゲージ)カトー 朱色5号

 カトーの首都圏色キハ30・35を棚卸ししました。

キハ35 906

模型はKATO製品そのままです。900番台のステンレス車は、1974年11月から1975年3月にかけて10両全車が千葉から高崎に転属しました。906番は”ただいま鉄道写真スキャン中"様のブログで、八王子駅構内に「小川町-八王子」のサボを付けて止まっている姿を見る事が出来ます。

906番を含む6両はJR化直前の1987年2月に廃車になりました。1987年に904番1両だけが茅ヶ崎に転じ、相模線で1995年まで活躍しました。

900番台は10両すべて1963年の登場でした。

キハ35 530

寒冷地仕様の500番台です。ベンチレーターを押し込み式に交換しています。500番台は吉田・新潟から木更津・八王子・高崎に転じましたが、1962年製の501~512番までは新潟で廃車になりました。

530番は526番と共に高崎で1997年4月まで車籍が残っていました。530番の実物に倣ってメイクアップパーツの1灯式シールドビームを付けています。500番台は前面補強のない車が多かった様です。

キハ35 162

前面補強板・1灯式シールドビーム車です。

KATOキハ35のヘッドライトは101系電車と共に、ちょっとデカ過ぎますが、それ程違和感はありません。ジャンパー線はトミックスの繋がっていないものよりKATOの方がいい感じです。

キハ30 503

前面補強板無し・押し込み式ベンチレーターです。


新潟から1984年に木更津、木更津から1988年に高崎に転属し、1998年まで車籍がありました。

1996年3月の八高線撤退後は久留里線に貸し出されていたそうです。

キハ36 48
唯一のキハ36です。新製配置は千葉で1972年に高崎に転出し、1984年に廃車になったいます。

キハ36は全車1962年製で、JR化前にすべて廃車になっていました。

キハ35 68
1964年製。成田から1974年に高崎に転じ、1996年まで活躍しました。

原型タイプの枠内にリブのあるシールドビームです。

キハ30 58
KATOの製品そのままです。M車です。

1963年製。木更津→千葉→高崎でJR化前に廃車になっていました。

参考にさせていただいたHP、ブログ(敬称略):きはゆに資料室、国鉄型車両ファイル、ただいま鉄道写真スキャン中、景図工房、遠森一郎の「ゆるっと写真雑記」、こちら上信越日本鉄道広報室、その他


2026年6月15日月曜日

キハ30・35(Nゲージ)トミックス 朱色5号

 買い込んであったトミックスのキハ35首都圏色を整備しました。

キハ30M車×1両、キハ30T車×2両、キハ35T車×2両です。手持ちのキハ20M車を使用して3両編成×2本にします。国鉄末期の相模線・八高線風でJRアンテナは無しにしました。

<1編成目>

キハ30 14

前面補強板有り・原型シールドビームです。北総電化で千葉から高崎に転じてその後長く活躍、JR化後に茅ヶ崎に移動しました。

キハ35 108

大宮から高崎を経て、JR化後は茅ヶ崎で活躍した原型シールドビーム・補強板有りです。最初は補強板無しにしようと思って調べると、八高線・相模線で補強板なしのタイプは1970年代後半にはいたようなのですが、JR化後は補強板取り付けと国電型(103系用)2灯シールドビームへ交換されたものが多かった様です。

キハ30 30

M車です。相模線で長く活躍し、JR化後の1991年に高崎に転じました。前面補強無し・原型シールドビームです。

<2編成目>

キハ30 80

前面補強付・原型シールドビームですが、朱色5号に塗られたタイプです。


美濃太田から1982年に八王子に来て1991年の廃車まで相模線で活躍しました。

キハ35 110

補強板有り・原型シールドビームです。新製配置は高崎でしたが、JR化直前の1986年に茅ヶ崎の転じ、1991年の廃車まで活躍しました。

キハ20 213

今回、M車は1両しか導入しなかったので、2編成目は昔から在籍しているキハ20を組み込みました。八王子から高崎を経て真岡に転じたナンバーです。実車は真岡駅に保存されています。


KATOのキハ35系と共に一緒に活躍させる予定です。

参考にさせていただいたHP・ブログ(敬称略):景図工房、かた44たかonX、線路は続くよどこまでも、きはゆに資料室、汽車・電車1971~、70's Railway、その他

2026年6月12日金曜日

1970年 吉都線(Nゲージ)混合列車

 D51標準型とC574次型が揃ったので蒸機時代の吉都線の雰囲気です。

D51453号機は1970年から1974年の廃車まで吉松機関区所属でした。人吉区のD51と違って吉松区のD51は重装備ではありませんでした。

吉都線はC55の他にC57も活躍していました。

でも調べてみると4次型は都城区にも吉松区にもいなかったので、吉都線では走っていなかった様です。


Train View 鉄道写真集様HPの素晴らしい混合列車の編成をコピーしました。

この列車、早朝のD51牽引の貨物に小林駅からオハユニ61を増結する列車だった様です。


オハユニ61+ヨ6000の次は木造の有蓋車、側面のアングルの数からワム3500ではないかと思います。その次のちょっと背が低い有蓋車はワム70000、その次は背が高いのでワラ1、そしてその次はワム80000に見えます。

もう1両の木造有蓋車もワム3500の様ですが、1両しかないのでワム50000で代用です。次にまたワム80000、その次は似た有蓋車2両ですが微妙に高さが異なります。ワム60000とワラ1にしました。

無蓋車は木造で妻板の形からワム45000、ワム90000を挟んだ3両は屋根の高さからワラ1、そして最後の1両はよく見えないのですが、ワフ29500(29000)かワフ35000の様です。

D51が牽く旅客列車もありました。

気分はすっかり吉松駅です。(貨物上屋の柱を折ってしまって修復中です...)

参考にさせていただいたHP・ブログ(敬称略):My Old Steamers、デゴイチよく走る!、D51338の ほぼ蒸機ブログ “NO STEAM, NO LIFE!”、mr.slim の PHOTO BLOG、蒸気機関車がいた時代、G鉄グラフィティ、DRFC-OB デジタル青信号、昭和の記憶と復活蒸機、pleiadesの蒸機機関車写真館、Train View 鉄道写真集、ぞうまさの昔の鉄道写真集、私の中央西線-汽笛山峡に谺す-、 会津の自然と汽車 & 北信の田舎暮らし、汽車・電車1971~、懐かしい駅の風景~線路配線図とともに、その他

2026年6月10日水曜日

D51453(Nゲージ)標準型

 D51標準型、2025年再生産された製品です。

453号機にするに当たって柏西口第一公園まで保存機を見に行きましたが、ディテールを再現する訳ではないので、ただ見に行っただけでした。

ちなみに昭島市の昭和公園(立川市の昭和記念公園とは別)に451号機を見に行った事もあります。

煙突の前に横置きに取り付けられた給水温め器が恰好良いと思っていたのですが、「栄光の蒸機機関車D51」という本を子供の頃に買ってもらったら、なめくじドームのD511の物語だったので、ちょっとがっかりした覚えがあります。

2026年3月にリニューアルオープンした青梅鉄道公園には452号機が展示してあるそうなので、いつか見に行こうと思います。

北海道型に比べて改良され、ナンバープレートをランナーから切り離すのが容易になったので、取り付け易くなりました。



2026年6月8日月曜日

D51397(Nゲージ)北海道型


北海道型のこちら、D51320号機にしていたのですが、気付いたらナンバープレートが1枚無くなっていました...。

ナンバープレートのASSYパーツは売り切れでしたので、手持ちナンバーの397号機に交換しました。

KATOの蒸機機関車は気持ちの良い走りです。 


2026年6月5日金曜日

C57 192(Nゲージ)4次型 先輪交換

 C57 4次型の先台車の2軸目をプレート車輪に交換する為、待ちに待ったKATO C62北海道型ASSY発売ですが、いざ手に入ってしまうと、そのまま5か月近く経っていました。

そろそろ交換しようと思い、作業に取りかかります。

2017-2D3、ホビーセンターカトーや大手量販店ではもう売り切れていました。

先台車は取りつけたままでスポーク軸を取り外して、その後にプレート車輪をはめ込むだけです。

デフの角が45度に切り欠いてあって、キャブ出入り口のドアが外してあり、変なC57だと思っていましたが、見慣れてくるとC59に比べて細身のボイラーと長い煙突がなかなか恰好良いです。


正直言ってスポーク車輪もプレート車輪も近くでよく見なければ分かりません。

参考にさせていただいたHP(敬称略):Nゲージ蒸気機関車、オフのデスクトップ、DRFC-OB デジタル青信号、その他