2026年5月29日金曜日

1980年 釧網本線(Nゲージ)

 1981年の釧網本線です。客車は4両編成の釧路寄りにスユニが連結が連結されるのが標準だった様です。

DE10はボンネットの長い方が釧路寄りなので、写真の列車は網走行きです。

素人考えで客車列車にタンク車を連結するのはおっかない気もしますが、安全基準はクリアしていたのだと思います。


最後尾がオハの時はひっかけ式の尾灯を使用していました。

レイアウトの都合で貨車はあまり繋いでいませんが、2軸車を7-8両繋いでいる画像もありました。


青い客車が混じって連結される時もありました。結構好みです。たまたまかも知れませんが、見かけた画像では大抵スユニの隣でした。

全線通しての急行はしれとこ2往復、大雪1往復でしたが、キハ22も結構使われていました。

根室本線の東鹿越から中斜里への石灰石輸送です。

ちょっとよく見えないのですが、トキの間にワラ(ワム)が挟まっている様に見える列車がありました。

ヨが中間に挟まっている、こんな楽しい編成もありました。

参考にさせていただいたHP・ブログ(敬称略):遠い絵模様、少し昔の+最近の北海道の鉄道、鉄道青年asamamokei2017onX、Rail・Artブログ、1982年北海道旅行の夜行19泊!、国鉄からJRに変わったころ、マル鉄鉄道写真館2、てんぽく(2K)onX、"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃、みすず刈る信濃の撮ってお記、湘南陽光電しゃ館鉄道館、津島軽便堂写真館、ただいま鉄道写真スキャン中、昭和50年代釧路の鉄道少年、GANREFmikabu、鷲羽onX、その他

2026年5月27日水曜日

1974年 湧網線(Nゲージ)貨物列車・ディーゼルカー

 久しぶりに湧網線の貨物列車です。

テールライトの点くワムフ100が良い感じです。


それほどスムーズという訳ではありませんが、マイクロエースの9600はなかなかよく走ります。

ワムフ100もマイクロエース製品を整備して良かったと思います。⇒ワムフ143整備

キハ22単行です。

参考にさせていただいたHP・故き良き感動を求めて、転轍器、蒸気機関車「SL STORY」、cavacho☆彡“きゃばちょこ”です。、北見市立図書館HP、SL現役の頃そしてその後、その他

2026年5月25日月曜日

1980年 名寄本線(Nゲージ)

 名寄本線です。1984年2月の荷物輸送廃止までキユニ26が活躍しました。


急行紋別は札幌-遠軽間(名寄本線内一部区間普通列車)の運転で急行大雪、はぼろとの3階建て急行列車でした。また名寄から遠軽まで名寄本線内普通列車で石北本線で旭川まで行く急行大雪も走っていました。

紋別駅の画像を見ると、9600が活躍していた頃から沢山のコンテナ貨車が停まっていました。

結構長い貨物列車が走っていました。


でも列車本数を見ると、本線とはいえ、やはりローカル線だったのでしょう。

天北峠には25‰の勾配がありました。(その名前から最初、天北線にあるのかと思っていました。)

名寄で宗谷本線、遠軽で石北本線と接続していましたが、1989年に廃止されてしまいました。

参考にさせていただいたHP・ブログ(敬称略):NHKアーカイブス、今日も まっ晴れ! 鉄道回顧録、ただいま鉄道写真スキャン中、PIXTA、波浪規定の部屋、~ 懐かしき想い出 ~ふっしゃん 鉄道写真の館、なめくじ会写真館汽車電車、風来梨のブログ、浜のポッポ屋のブログ、Haramap腹地図帖のりてつPOST、おかひめの鉄道記録、D51338の ほぼ蒸機ブログ “NO STEAM, NO LIFE!”、きはゆに資料室、その他

2026年5月22日金曜日

1974年 宗谷本線(Nゲージ)名寄駅 321レ・324レ

 宗谷本線324レです。

駅舎にちょっと手を加えました。

一部屋根を手直して駅名標を付けました。

クルクルパー付きでスカートの無い夏姿のC55が軽快で良い感じです。排障器はKATOのD51用先台車から切り落として接着しています。


交換のC57牽引の321レが来ました。


1日一度のさいはて鈍行の交換はさぞかし壮観だった事でしょう。

324レが出発して行きました。
屋根がこの塗分けのマニ36は実物同様にキャンバス押さえを撤去し、末期は宗谷本線で活躍したマニ36 2222に改造しようかと思いましたが、実車はオハ35改造でリベットがありませんでしたので諦めました。

稚内に向けて走り去って行きました。

構内にはトラ塗り9600が停まっています。

ネット上では321レ、324レを追った貴重な写真の数々を見る事が出来ますが、特に冬場は結構過酷な条件だったんだのでしょう。

324レが出発します。

一路旭川に向かいます。

おまけです。急行天北が来ました。


キハ22普通列車です。


参考にさせていただいたHP・ブログ(敬称略):思いで鉄道探検団、一睡の夢・国鉄末期の12年、THOSE WERE THE DAYS、YASUZIROのきままに撮影、わが国鉄時代2、その他

2026年5月21日木曜日

2000年 紀勢東線(Nゲージ)キハ58引退前

 紀勢東線のキハ58に乗ったのは1999年ですが、まるで昨日の事の様です。2001年に伊勢車両区のキハ58が引退してからもう四半世紀が経っていました。どおりで歳を取るわけです。


当時、紀勢東線ではみえ色キハ58が何両か活躍していましたが、伊勢車両区に配置されていたのは原型エンジン車だけでした。

亀山駅のイメージですが、ちょっとホームが足りません...。

キハ58の後を継いだキハ40が引退してから、早くも10年の月日が流れていました。

頭の中で大野雄二さんの小さな旅のテーマ曲が聞こえます。ご冥福をお祈りします。


参考にさせていただいたHP(敬称略):Wikipedia、きはゆに資料室、神のホームページ、その他

2026年5月16日土曜日

1992年 播但線(Nゲージ)キハ58 5500番台 混色編成

 1992年の播但線です。客車列車置き換えの為、各地から集められた気動車は当初、ロングシート化改造のみでそのままの塗色で活躍していました。

混色は好きですがさすがに多過ぎる気がします。実物は更に七尾急行色と旧高岡色も活躍していました。

実物は1994年までに姫路色に塗り替えられましたが、1998年の播但線電化でキハ58は廃車になりました。

参考にさせていただいたブログ(敬称略):はなぶさに集う仲間たち その他 

2026年5月15日金曜日

1991~1992年 高山本線(Nゲージ) 富山界隈

越美北線色キハ52と七尾線普通色のキハ58です。越美北線色のキハ52は同線へのキハ120導入に伴って1992年に越前大野から富山に移動しました。


高山色のキハ23 11とキハ52   125は割と早くに高山色に塗り変えられていますが、1991年には前者は小郡、後者は越前大野に転出してそれぞれ広島色と越美北線色に塗り替えられた様です。

そしてキハ58は1996年には高岡に移動しました。

キハ120の導入まで数年単位で割と細かく転配が行われていた様です。

こちら加古川色のキハ23は1990年から1993年の富山配置ですが、早めに塗り替えられたかもしれません。

参考にさせていただいたHP・ブログ(敬称略):かた44たかonX、きはゆに資料室、その他