2026年6月24日水曜日

キハ30 25(Nゲージ)オデコタイフォン

 KATO キハ30T車がもう1両ありましたので、高岡から転属してきて相模線で活躍したオデコ・タイフォン付きのキハ30 35にしました。タイフォンのシャッターは後に撤去されていますが、シャッター付きの状態にしました。


トミックスのキハ40用タイフォンを使いますが、差し込み部分が段付きになっているので、車体に密着する様にピンバイスで穴をあけました。

トミックスのドア開閉ボタンインレタ残りを使用します。

ツヤ消しクリア仕様にしました。

所属標記は西ハチにします。ちなみに茅ヶ崎機関区が拠点の相模線気動車は西ハチ所属ですが、八王子に留置されていた八高線気動車は高タカ所属でした。その後、1986年に西ハチから茅ヶ崎に転属しましたが、ちょっと謎です。

タイフォン取り付け時に流し込み接着剤が結構はみ出していたのですが、つや消しクリアで目立たなくなりました。

参考にさせていただいたHP・ブログ(敬称略):景図工房、My Station Odyssey 2、きはゆに資料室、その他

2026年6月22日月曜日

ホキ3100(Nゲージ)秩父セメント

 廃止後も線路だけが残っている南松本駅状態だったセメントSS側線に貨車が入線しました。

マイクロエースのホキ3100×3両セットです。2022年に発売されました。

ホキ3242

KATOのホキ5700と並べました。軽くエアブラシでウェザリングしてあります。

ホキ3132

こちらは強めにウェザリングしたつもりですが、横のホキ5700と比べるとまだまだやさしい感じです。

ホキ3121

全検出立て仕様で全くウェザリングしていません。

遠目にはウェザリングの濃淡だけで、なんだか分かりません...。

秩父セメントのマークが白は秩父鉄道鉄道所有車が秩父セメントに譲渡されたもの、黄色は最初から秩父セメント所有のものなんだそうです。

ホキ3100は35トン積み、ホキ5700は40トン積みですが、混用されていた様です。

1961年から1965年にかけて153両が製作され、民営化後の1996年5月に最後の3両が廃車されたそうです。


参考にさせていただいたHP・ブログ(敬称略):ジョージ渋沢のブログ、鉄道模型FAN、My FlowerなBox鉄ちゃんのページ、Wikipedia、その他

2026年6月19日金曜日

1981年 八高線 (Nゲージ)貨物列車・ディーゼルカー

 1980年代前半の八高線です。


秩父鉄道武甲駅(武甲線1984年廃止)からの砕石と武州原谷駅からのセメントが寄居駅から、奥多摩工業専用線(1984年廃止)の砕石(主に成田空港向け)が箱根ヶ崎駅から、そして日本セメント専用線への石灰石到着とセメント出荷がある高麗川駅、そして秩父セメントのSSがある小宮駅を拠点に貨物列車が運転されていました。

一部の貨物列車は車掌車の連結が省略されていた様です。

セメント輸送や砕石輸送が中心でしたが、それ以外の貨物もあった様で雑多な貨車が繋がれた貨物列車も見られました。


気動車は元々キハ17とキハ35がいましたが、千葉方面の電化でキハ35が順次転入して、1975年にキハ17はいなくなっています。またキハ35寒地向け500番台は、越後線電化で余剰になった1984年に転入して来ました。

その他、足尾線と共通運用だったキハ20が1990年まで活躍しています。

荒川橋りょう風です。

八高線は20‰の勾配がある為、DD51重連が走っていました。意外と短編成の貨物列車でもみられました。

DC列車と交換します。

高麗川以南ではDD51とDE10の重連も走っていました。高麗川まで奥多摩工業のホキ4200が入線していた様ですが、模型は積荷カバー付きのホキ34200(奥多摩-水江町専用)で代用です。(但し、八王子貨車区で検修を受けたホキ34200が拝島経由で奥多摩に回送される事があった様です。)

キハ40 2000番台は主に足尾線用だったと思いますが、1980年に高崎へ新製配置されました。

キハ35ばかりの中にキハ40が来たら、空いている時だったらラッキーだったでしょう。

魅力的な貨物列車が沢山走っていた八高線でした。


ちなみに以前、黄緑6号のヨ5000を整備した際に、Xで寄居駅停車中のDD51がワフと黄緑のヨを連結した画像がありました。

こんな感じで結構カラフルな姿で走っていたかも知れません。

参考にさせていただいたHP・ブログ(敬称略):ジオアーカイブスbyデゴイチよく走る!、KLBみけねこのブログ、景図工房、ERWの鉄道ブログ、歩鉄の達人、ジョージ渋沢のブログ、つねぴょんの撮り鉄人生、マル鉄鉄道写真館2、アナログからデジタルへ、荒野の素浪人の徒然日記、LOCO PHOTOⅡ、さかはんonX、心に残る鉄道情景、急行越前鉄の話、レイルマガジン・バックナンバー記事、その他

2026年6月17日水曜日

キハ30・35(Nゲージ)カトー 朱色5号

 カトーの首都圏色キハ30・35を棚卸ししました。

キハ35 906

模型はKATO製品そのままです。900番台のステンレス車は、1974年11月から1975年3月にかけて10両全車が千葉から高崎に転属しました。906番は”ただいま鉄道写真スキャン中"様のブログで、八王子駅構内に「小川町-八王子」のサボを付けて止まっている姿を見る事が出来ます。

906番を含む6両はJR化直前の1987年2月に廃車になりました。1987年に904番1両だけが茅ヶ崎に転じ、相模線で1995年まで活躍しました。

900番台は10両すべて1963年の登場でした。

キハ35 530

寒冷地仕様の500番台です。ベンチレーターを押し込み式に交換しています。500番台は吉田・新潟から木更津・八王子・高崎に転じましたが、1962年製の501~512番までは新潟で廃車になりました。

530番は526番と共に高崎で1997年4月まで車籍が残っていました。530番の実物に倣ってメイクアップパーツの1灯式シールドビームを付けています。500番台は前面補強のない車が多かった様です。

キハ35 162

前面補強板・1灯式シールドビーム車です。

KATOキハ35のヘッドライトは101系電車と共に、ちょっとデカ過ぎますが、それ程違和感はありません。ジャンパー線はトミックスの繋がっていないものよりKATOの方がいい感じです。

キハ30 503

前面補強板無し・押し込み式ベンチレーターです。


新潟から1984年に木更津、木更津から1988年に高崎に転属し、1998年まで車籍がありました。

1996年3月の八高線撤退後は久留里線に貸し出されていたそうです。

キハ36 48
唯一のキハ36です。新製配置は千葉で1972年に高崎に転出し、1984年に廃車になったいます。

キハ36は全車1962年製で、JR化前にすべて廃車になっていました。

キハ35 68
1964年製。成田から1974年に高崎に転じ、1996年まで活躍しました。

原型タイプの枠内にリブのあるシールドビームです。

キハ30 58
KATOの製品そのままです。M車です。

1963年製。木更津→千葉→高崎でJR化前に廃車になっていました。

参考にさせていただいたHP、ブログ(敬称略):きはゆに資料室、国鉄型車両ファイル、ただいま鉄道写真スキャン中、景図工房、遠森一郎の「ゆるっと写真雑記」、こちら上信越日本鉄道広報室、その他


2026年6月15日月曜日

キハ30・35(Nゲージ)トミックス 朱色5号

 買い込んであったトミックスのキハ35首都圏色を整備しました。

キハ30M車×1両、キハ30T車×2両、キハ35T車×2両です。手持ちのキハ20M車を使用して3両編成×2本にします。国鉄末期の相模線・八高線風でJRアンテナは無しにしました。

<1編成目>

キハ30 14

前面補強板有り・原型シールドビームです。北総電化で千葉から高崎に転じてその後長く活躍、JR化後に茅ヶ崎に移動しました。

キハ35 108

大宮から高崎を経て、JR化後は茅ヶ崎で活躍した原型シールドビーム・補強板有りです。最初は補強板無しにしようと思って調べると、八高線・相模線で補強板なしのタイプは1970年代後半にはいたようなのですが、JR化後は補強板取り付けと国電型(103系用)2灯シールドビームへ交換されたものが多かった様です。

キハ30 30

M車です。相模線で長く活躍し、JR化後の1991年に高崎に転じました。前面補強無し・原型シールドビームです。

<2編成目>

キハ30 80

前面補強付・原型シールドビームですが、朱色5号に塗られたタイプです。


美濃太田から1982年に八王子に来て1991年の廃車まで相模線で活躍しました。

キハ35 110

補強板有り・原型シールドビームです。新製配置は高崎でしたが、JR化直前の1986年に茅ヶ崎の転じ、1991年の廃車まで活躍しました。

キハ20 213

今回、M車は1両しか導入しなかったので、2編成目は昔から在籍しているキハ20を組み込みました。八王子から高崎を経て真岡に転じたナンバーです。実車は真岡駅に保存されています。


KATOのキハ35系と共に一緒に活躍させる予定です。

参考にさせていただいたHP・ブログ(敬称略):景図工房、かた44たかonX、線路は続くよどこまでも、きはゆに資料室、汽車・電車1971~、70's Railway、その他