JR東海キハ58が引退して25年。ちょっとデカい車番インレタを入れ直しながら、棚卸を兼ねてかるく整備しました。 昔のレイルマガジン”伊勢運輸区キハ58系徹底分析!”と”キハ58系究極解析”を参考にしました。
キハ58 597
1965年に和歌山新製配置。1985年から伊勢、亀山で活躍し、美濃太田を経て名古屋に1991年に移動してみえ色に塗装変更。1994年12月に伊勢に転じ、紀勢ローカルで1999年10月まで活躍しました。
非電化ローカル線を中心にしたレイアウトです。名前と違って地を這うペースで工作しています。
JR東海キハ58が引退して25年。ちょっとデカい車番インレタを入れ直しながら、棚卸を兼ねてかるく整備しました。 昔のレイルマガジン”伊勢運輸区キハ58系徹底分析!”と”キハ58系究極解析”を参考にしました。
キハ58 597
1965年に和歌山新製配置。1985年から伊勢、亀山で活躍し、美濃太田を経て名古屋に1991年に移動してみえ色に塗装変更。1994年12月に伊勢に転じ、紀勢ローカルで1999年10月まで活躍しました。
鵜殿貨物です。DD51が重連だったのは、元々新宮から2列車に分割され、片方はそのまま紀伊佐野へ、もう片方は折り返して鵜殿に向かっていた名残りでした。1995年に紀伊佐野の貨物が廃止され、DD51のうち1両は新宮で待機する様になり、もう1両が鵜殿までの列車を牽いていました。
10年以上そのままだったのですが、2008年にやっとDD51単機牽引に変更されます。そして経路も亀山経由から伊勢鉄道経由に変更され、また一旦新宮まで行ってから折り返さずに鵜殿に直接到着する様になりました。
そして2013年紀勢東線の貨物列車は廃止になります。さよなら運転のコンテナ車を迎えにいく単機風の写真を撮ろうと思ったら、エッチングパーツのナンバープレートが1枚、欠落していました...。ちょっとしか捜しませんでしたが、早々に見つけるのを諦めました。
軽く接着していた台座のプラパーツを取り外し、予備パーツを取り付けておきます。(DD51 1182から1134になりました。米子の機関車です。)
キハ85南紀を出してきました。
新宮寄りにキロ85が連結された1992年から2001年までの編成です。
1994年12月に寝台客車が14系から置き換えられた後、1999年10月のDC化まで活躍した14系15形連結の急行だいせんです。座席車の12系は1991年11月からグレードアップ車の3000番台になっています。トミックスの車両セットを導入しました。
DD51 1179
1976年10月製造。まもなく登場から50年になります。今(2026年6月現在)でも後藤総合車両所配置で現役です。社外品のエッチング製ナンバープレートを付けています。
スハフ12 3002
オハ12 3001
12系客車には横軽対策Gマーク(Gマークと言うのは初めて知りました...)が付いているので調べたら、横川-軽井沢間廃止は1997年9月末でした。
オハネ15 13
通路側に比べて寝台席側窓の天地寸法が狭いオハネ15 0番台です。ちなみにオハネ15にはオハネ25 100番台から改造された車両があるそうです。
オハネ15 17
横軽対策されておらず、Gマークは付いていません。
スハネフ15 5
オリジナルの14系(24系)よりも後退角の浅い折妻の形状が好きです。
スハフ12とスハネフ15の後位側(車掌室側)はアーノルドカプラーのままですが、ジャンパー線パーツを取り付けています。それ以外はすべて密自連形TNカプラー0374に交換しました。トイレタンクPZ-106は入手不可能ですので、ひとまず余っていたPZ109の排出口と取り付け用の爪を切り取って、接着剤で付けておきました。
JR西日本にのみ残るDD51ですが、2026年になってから全検を受けた車両もあるそうです。
24系25形や14系15形の平べったい妻面が結構好きです。
行き先方向幕とトイレ窓はネットで見た加工例を参考に裏から白いシールを貼りました。手塗りやエアブラシより簡単です。
こんな感じになりました。
オハネ15が2両続きますが、向こう側の車両は白いシールを貼り間違えていました。直しておきました。
直しました。特急出雲浜田編成に次いで5両編成の寝台列車2本目です。⇒特急出雲 浜田編成
KATO キハ30T車がもう1両ありましたので、高岡から転属してきて相模線で活躍したオデコ・タイフォン付きのキハ30 35にしました。タイフォンのシャッターは後に撤去されていますが、シャッター付きの状態にしました。
ツヤ消しクリア仕様にしました。
所属標記は西ハチにします。ちなみに茅ヶ崎機関区が拠点の相模線気動車は西ハチ所属ですが、八王子に留置されていた八高線気動車は高タカ所属でした。その後、1986年に西ハチから茅ヶ崎に転属しましたが、ちょっと謎です。
タイフォン取り付け時に流し込み接着剤が結構はみ出していたのですが、つや消しクリアで目立たなくなりました。
廃止後も線路だけが残っている南松本駅状態だったセメントSS側線に貨車が入線しました。
マイクロエースのホキ3100×3両セットです。2022年に発売されました。
ホキ3242
KATOのホキ5700と並べました。軽くエアブラシでウェザリングしてあります。
ホキ3132こちらは強めにウェザリングしたつもりですが、横のホキ5700と比べるとまだまだやさしい感じです。
ホキ3121
全検出立て仕様で全くウェザリングしていません。
遠目にはウェザリングの濃淡だけで、なんだか分かりません...。
秩父セメントのマークが白は秩父鉄道鉄道所有車が秩父セメントに譲渡されたもの、黄色は最初から秩父セメント所有のものなんだそうです。
ホキ3100は35トン積み、ホキ5700は40トン積みですが、混用されていた様です。
1961年から1965年にかけて153両が製作され、民営化後の1996年5月に最後の3両が廃車されたそうです。
参考にさせていただいたHP・ブログ(敬称略):ジョージ渋沢のブログ、鉄道模型FAN、My FlowerなBox鉄ちゃんのページ、Wikipedia、その他
1980年代前半の八高線です。
セメント輸送や砕石輸送が中心でしたが、それ以外の貨物もあった様で雑多な貨車が繋がれた貨物列車も見られました。
気動車は元々キハ17とキハ35がいましたが、千葉方面の電化でキハ35が順次転入して、1975年にキハ17はいなくなっています。またキハ35寒地向け500番台は、越後線電化で余剰になった1984年に転入して来ました。
その他、足尾線と共通運用だったキハ20が1990年まで活躍しています。
荒川橋りょう風です。
八高線は20‰の勾配がある為、DD51重連が走っていました。意外と短編成の貨物列車でもみられました。
DC列車と交換します。
高麗川以南ではDD51とDE10の重連も走っていました。高麗川まで奥多摩工業のホキ4200が入線していた様ですが、模型は積荷カバー付きのホキ34200(奥多摩-水江町専用)で代用です。(但し、八王子貨車区で検修を受けたホキ34200が拝島経由で奥多摩に回送される事があった様です。)
キハ40 2000番台は主に足尾線用だったと思いますが、1980年に高崎へ新製配置されました。
キハ35ばかりの中にキハ40が来たら、空いている時だったらラッキーだったでしょう。
魅力的な貨物列車が沢山走っていた八高線でした。
参考にさせていただいたHP・ブログ(敬称略):ジオアーカイブスbyデゴイチよく走る!、KLBみけねこのブログ、景図工房、ERWの鉄道ブログ、歩鉄の達人、ジョージ渋沢のブログ、つねぴょんの撮り鉄人生、マル鉄鉄道写真館2、アナログからデジタルへ、荒野の素浪人の徒然日記、LOCO PHOTOⅡ、さかはんonX、心に残る鉄道情景、急行越前鉄の話、レイルマガジン・バックナンバー記事、その他