2024年5月8日水曜日

ワム12157(Nゲージ)

 板張りの側板を持ったワム3500です。今回、調べてみるまで形式名も知りませんでした。長軸のワム3500に対して、短軸で少し車幅が狭いワム1があったそうですが、見た目はそっくりです。

トミックスの国鉄北海道貨物列車(黄帯車)セットに入っている木造貨車です。車番からだと形式名が分かりづらいのですがワム3500で良い様です。実物は1970年には姿を消したそうですが、京都鉄道博物館にワム7055が保存されている他、全部で4両現存するそうです。

黄色帯を巻かれてロ記号を付けられる前の姿にしようと思い、細かい表記類は消えない様にセロテープでカバーしながら、黄色帯と車番をシンナーを付けた綿棒で消しました。

手持ちのインレタで車番を入れ直しました。(番号はワフ12100の残りを使いました。)


インレタが剥がれない様に一旦つや消しクリアを吹き付けた後、軽くウェザリングしてから改めてつや消しクリア仕上げにしました。


参考にさせていただいたHP(敬称略):Wikipedia、トミーテックHP、ノーブルジョーカーのホームページ、里山工房、鉄道写真と資料の本棚、こてはし鉄道日記、汽車電車1971~、輝かしき鉄道の記録、鉄道省半田鉄道局、その他

2024年5月6日月曜日

スハニ35 12(Nゲージ)

 スハニ35です。先日入線したC12に牽かせる為に整備しました。

入手したKATO製品は、側窓下に三等表記「Ⅲ」が付いて、所属区表記が車体中央ナンバー上にあります。調べてみるとこれは1959年(昭和34年)以前の姿で、車体色もおそらく茶色1号の様です。

慎重にばらしました。古い設計のKATO製品はバラすのが知恵の輪の様に難しく、取り付け爪が折れたり、後から上手く嵌らなくなったりします。窓ガラスを外すのも硬くて割ってしまわないか心配になる位でした。
台車を外す際に取り付けピンの先の爪が折れてしまったのですが、鉄コレのもので代用出来たので助かりました。

シートパーツは仕切り板のみマスキングして青15号を吹き付けておきます。車掌室の椅子は後方監視窓に背を向けた方向になっていました。

表記類を消してから茶色2号を塗り、インレタを入れ直して、つや消しクリア仕上げにします。

テールライトは点灯しません。貫通路扉の窓が入っていないので透明プラバンを接着しておきました。

各地の特急・急行運用を退いてからは、高崎周辺から両毛線や水戸線、日中線や川俣線等のローカル輸送や、観光団体専用列車として活躍したそうですが、1970年にはすべて引退し、マニ36に改造されたり救援車になったりしたそうです。

参考にさせていただいたHP・ブログ(敬称略):エヌゲ道 since 2015~Nゲージ鉄道模型とフィギュアとか何たら~、鉄道模型のページへようこそ!、鉄道模型FAN、Wester Wiese、客車列車の旅 倶楽部メモ、DRFC-OB デジタル青信号、急行越前の鉄の話、おざようonX、てつの鉄道模型のWWW、どりこのonX、その他

2024年5月4日土曜日

2022年留萌本線(Nゲージ)キハ54・キハ40

 深川-石狩沼田間に短縮される前の2022年、留萌本線に乗った事があります。キハ54 504単行でした。

その日の朝の深川駅5番線(ホームが無い中線)には釧路から旭川に転属してきたキハ40 1758が留置されていました。朝、留萌からの1番列車として到着した後、次の運用まで待機中だった様です。

その時はキハ54に乗って峠下まで行き、次の上り列車で戻ってきたのですが、峠下駅には列車時刻変更の掲示があり、その日のキハ40代走と思われる列車が途中数分遅れる時刻表になっていました。恵比島-峠下間の勾配をキハ54と同じスピードで走れなかった様です。




2024年5月2日木曜日

キハ40 193・200(Nゲージ)1990年頃 JR仕様

 GMキハ54の相棒として、中古ショップにてジャンク扱いで販売されていたキハ40M車・T車各1両をJR仕様で整備しました。


但し、JR仕様と言ってもJRアンテナとJRマークが付いているだけの1990年前後の塗装変更前スタイルです。台車交換や前面補強が行われた後のGMキハ54とは時代的に合いませんが、近年のキハ40復活朱色5号とキハ54の組み合わせっぽくてなかなか良い感じです。

キハ40 193(M車)いつも通りの整備内容です。

土曜日の午後半日かけてインレタ貼りと各パーツの塗装をするには、ディーゼルカー2両分位がちょうど良い感じです。

車番と各種表記はレボリューションファクトリー、JRマークはトミックスのインレタです。

中古品を買ってきて整備するのはなかなか楽しく、今回の2両はジャンク扱いでしたが、車体も走りも問題ありませんでした。

キハ40 200(T車)です。

今回は2両共、ほぼ同じ程度のウェザリングにしました。

すっきり仕上がる様にボディーは排気口回りのつや消し黒吹き付けのみで、その他のウェザリングや墨入れは行っていません。

床下機器と台車は全部塗装しましたが、やはり、なかなか良い雰囲気になります。


参考にさせていただいたHP(敬称略):Kano鉄道局、その他

2024年4月30日火曜日

1970年 足尾線(Nゲージ)C12重連・ディーゼルカー

 足尾線では1970年9月末までC12が貨物列車を牽引していました。

原料の輸入鉱石を積んだ無蓋車、銅精錬の際に生産される濃硫酸用や燃料用のタンク車が主な貨物でした。

桐生-足尾間を重連で走る列車、神土-足尾間のみ重連の列車、そして桐生-足尾間単機牽引の列車といろいろあった様です。

旅客列車は1956年からキハ04を使用。1958年に桐生へキハ20が配置され、1960年に旅客列車は全面的にディーゼルカー化されました。

C12は間藤方面が正向き、桐生方面が逆向きだったそうです。

貨物列車は輸入鉱石を積んだ無蓋車中心ですが、砕石ホキが連結された列車や土運車を連ねた列車の画像も見る事が出来ました。廃鉱石を運んでいた様です。

ちなみに桐生で接続していた両毛線が全線電化されたのは1968年の事でした。

参考にさせていただいたHP・ブログ(敬称略):日本と海外の蒸気機関車の写真・ビデオ館~~世界の煙を追って、煙にまかれて~~、SL現役の頃そしてその後、中華特急のスローライフ、appghのブログ、ふせちゃんのブログ、togetter足尾線を走った土運車、Wikipedia、その他

2024年4月28日日曜日

KATO トラ45000(Nゲージ)積荷カバー付き 整備

 KATO トラ45000積荷カバー付きです。ナンバーはトラ45270とトラ47061でした。(元々ある積荷無しの古いロットはトラ46264とトラ50021でした。)

積荷カバーは以前からあるトラ55000と同一部品だと思っていたら、微妙に形態が異なっています。

手前:トラ45000 奥:トラ55000

ウェザリングしておきましたが、元々足尾線鉱石輸送列車用にしようと思っていたところ、カバーの下に箱が置かれている、それっぽくない形態です。

トラ55000用積み荷パーツが入手出来ました。

塗装してトラ45000に取り付けました。鉱石輸送っぽくなりました。

ちなみにこのパーツ、トミックス製トラ145000にも使用可能でした。
同一鉄道事業者に重複ナンバーの車両が存在する事を「二車現存」というそうです。(Wikipediaより)









2024年4月26日金曜日

C12 46・C12 67(Nゲージ)

 2024年3月に再生産されたKATO C12を思い切って2両導入しました。42・46・51・67の4種類のナンバープレートが付属し、川崎車両の製造銘板が印刷済です。

42号機は1967年に稲沢第一機関区から中津川機関区に転入し、1972年5月に廃車されました。明知線の貨物列車再現に良さそうです。実物は日本車輌製なのと鉄製の増炭囲い板が設置されていた事がKATO製品と違うので不採用にしました。末期は前後トラ塗りにされていました。

C12 46号機

長く桐生機関区に配置され主に足尾線で活躍、1970年11月に廃車されました。川崎車両製で四角い製造銘板が付き、コールバンカーに増炭囲い板がない、ほぼKATO製品そのままの形態です。こちらの車番を採用しました。ナンバー取り付けのみ慎重に行います。

51号機は1940年代末期から1973年3月に廃車されるまで西舞鶴機関区に所属し、西舞鶴駅、東舞鶴駅の入換、小浜線の補機運用に就いていたそうです。川崎車輌製ですが、実物はサイドの水タンク給水口が角形の大きなものに改造され、側面のナンバープレートがかなり下方に付けられて製造銘板がなくなっていました。増炭囲いはなかった様です。こちらも不採用です。

C12 67号機

茅野駅前に静態保存されている実物を見た事があり、番号のバランスも良い感じなので、採用です。信濃大町、松本を経て1960年代後半から上諏訪機関区で入換用に使われ、1972年4月に中津川に転属して1973年4月に廃車、その後茅野市民会館に保存され、現在は茅野駅東口駅前に移されています。保存開始から50年経ちました。

67号機も末期はトラ塗りで、ネット上で1971年4月上諏訪、1971年12月中津川、1972年3月小淵沢での姿を見る事が出来ます。(ちなみにC56 160もトラ塗りでした。)1972年10月明知線での正面からの写真は、煙室扉とフロントデッキ端梁が黒一色に見えますが、後位側コールバンカーは1973年4月中津川区廃車時までトラ塗りのままだった様です。

模型は黒一色で仕上げる事にしましたが、日立製の67号機に川崎車輌の銘板が気になりますので消しました。レボリューションファクトリーのSL用”日立”製造銘板は入手困難な様ですので、すっきり無いままでも良いかと思っています。

#2000耐水ペーパーで水研ぎして消しましたが結構跡が残ってしまいました。サイドタンクパーツは簡単に外れたので、セラミックコンパウンドで磨いてからつや消しクリアを吹きました。

するとサイドタンクはきれいになったものの、他の部分とのツヤの違いがはっきり分かる様になってしまったので、結局、車体をばらして窓ガラスを外してから、全体をつや消しクリアで塗装しました。ヘッドライトは外し方が分からなかったので、マスキングしておきました。

シリンダーブロックはロッド類が修復不能になると困るので、怖くて止めておきました。写真で見るとキャブのツヤが微妙に違う気がしますが、なんとか目立たなくなりました。

46号機と並べるとこんな感じです。

67号機には増炭囲い板を付けました。廃車寸前の写真を見るとオリジナルのコールバンカーに木製の増炭枠が付いています、茅野の保存機は上部にカバーを取り付ける際にコールバンカー周りの形態が少し変わった様です。

増炭枠を塗装してから接着しましたが、取り付け時一部塗装が剥げたので筆でタッチアップしておきました。

期待通りの走りです。但し車体が軽いので重連運転時に片方が集電不良に陥るともう一方が脱線する事がありました。レールクリーニングをしっかりする必要があります。

参考にさせていただいたHP・ブログ(敬称略):Nゲージ蒸気機関車、ただいま鉄道写真スキャン中、デゴイチよく走る、自動車塗装の自分史とSL(蒸気機関車)写真展、鉄道写真帳「蒸機の匂った時代」、G鉄グラフィティ、レイルラボ Photo by norikad、昭和の鉄道員ブログ、C12の形態学、SAMUのNゲージ蒸気機関車ページ、世界の蒸気機関車Steam in the world、汽車・電車1971~、なつかしの鉄道写真館、Wikipediaその他