2026年7月10日金曜日

JR東海 キハ58 733・キハ28 2345(Nゲージ)

 キハ58 733

長野から1972年に美濃太田に転じ、1986年から1992年までは名古屋、その後、美濃太田で1999年12月に廃車になりました。キハ58 3001(元714)、729と共に前部乗降デッキ上のベンチレーターが165系電車用になっていました。


国鉄乗り場HPに1992年、まだ灰色Hゴムの同車の写真がありました。Kami-kitami様のブログに紀勢東線で活躍している写真がありましたので、末期は伊勢区に貸し出されていた様です。

紀勢東線シリーズのキハ58M車は、走行安定性の為にキハ28とリード線で繋ぎ8軸集電にしていたのですが、メンテナンス性が悪いので撤去しました。

キハ28 2345

1964年に新製配置され、数か月の間に米子→新潟→千葉→七尾→米子と移動、1971年に鳥取に移り、1972年に後藤工場で冷房化、鳥取から1986年に伊勢に転属し、1999年10月の廃車まで活躍しました。


”レイルマガジン伊勢運輸区キハ58系徹底分析”の2345の写真はキャプションに「前面貫通扉にスターを増設」となっていますが、校正ミスと思われます。ワイパー取り付け部は改造していません。

参考にさせていただいたHP、ブログ(敬称略):国鉄乗り場、kami-kitamiのブログ、きはゆに資料室、その他

2026年7月8日水曜日

キハ26 303・キハ26 403(Nゲージ)

 キハ26 303

1958年に5両、1960年に10両が製造された元キロハ25です。1967年から1969年にかけて全車キハ26  300番台に格下げ改造されましたが、1973年から1975年にかけて全車キユニ26、キニ26に再改造されて姿を消しました。

文字の大きいインレタが貼ってありましたので、文字サイズが改良された後のインレタに交換します。


言われなければ分からない程度の違いです。小海線運用に着く様に車番はやっぱり303にしました。所属標記やATSマークを入れ、つや消しクリア仕上げにしました。

キハ26 403
こちらもインレタを入れ直しました。1959年から1961年にかけて61両が製造され、1967年から1969年にキハ26 400番台に格下げ改造されました。

1976年から1977年に600番台に再改造されたものやキユニ26に再改造された車両もありました。

雨樋が赤いタイプですので、千葉から山形、一ノ関に転属して1983年に廃車になった403にしました。こちらもつや消しクリア仕上げです。

JR東海 キハ58 713・キハ28 2323(Nゲージ)

キハ58 713
1966年に新製配置された長野から1972年に美濃太田に転属し、その後名古屋を経て、伊勢で2000年3月に廃車になりました。架線注意札が運転席窓上の手すりの下にぶら下がっているタイプです。

ワイパー基部の箱を取り付けます。

こちらのキハ58はT車なので、4連(5連)用です。


架線注意のインレタを入れ直しておきました。

キハ28 2323

1963年に和歌山に新製配置。1969年に高砂工場で冷房化。1980年に奈良、1984年に亀山、1986年から1999年10月に廃車されるまで、伊勢にいました。

ちなみにキハ28が2356まではバランサー点検蓋がなかったそうです。

参考にさせていただいたHP(敬称略):神のホームページ、kami-kitamiのブログ、きはゆに資料室、名松線の旅、その他



2026年7月6日月曜日

JR東海 キハ58 597(Nゲージ)

JR東海キハ58が引退して25年。ちょっとデカい車番インレタを入れ直しながら、棚卸を兼ねてかるく整備しました。 昔のレイルマガジン”伊勢運輸区キハ58系徹底分析!”と”キハ58系究極解析”を参考にしました。

キハ58 597

1965年に和歌山新製配置。1985年から伊勢、亀山で活躍し、美濃太田を経て名古屋に1991年に移動してみえ色に塗装変更。1994年12月に伊勢に転じ、紀勢ローカルで1999年10月まで活躍しました。


引退が近い1990年代後半、紀勢東線でキハ28とのコンビで活躍しました。キハ28は急行色だけなので必ず混色編成になっていましたが、シンプルな塗装のみえ色と急行色の組み合わせは結構好きでした。

2026年6月29日月曜日

1999年 紀勢東線(Nゲージ) 鵜殿貨物・特急ワイドビュー南紀

鵜殿貨物です。DD51が重連だったのは、元々新宮から2列車に分割され、片方はそのまま紀伊佐野へ、もう片方は折り返して鵜殿に向かっていた名残りでした。1995年に紀伊佐野の貨物が廃止され、DD51のうち1両は新宮で待機する様になり、もう1両が鵜殿までの列車を牽いていました。

10年以上そのままだったのですが、2008年にやっとDD51単機牽引に変更されます。そして経路も亀山経由から伊勢鉄道経由に変更され、また一旦新宮まで行ってから折り返さずに鵜殿に直接到着する様になりました。

そして2013年紀勢東線の貨物列車は廃止になります。さよなら運転のコンテナ車を迎えにいく単機風の写真を撮ろうと思ったら、エッチングパーツのナンバープレートが1枚、欠落していました...。ちょっとしか捜しませんでしたが、早々に見つけるのを諦めました。

軽く接着していた台座のプラパーツを取り外し、予備パーツを取り付けておきます。(DD51   1182から1134になりました。米子の機関車です。)

キハ85南紀を出してきました。

新宮寄りにキロ85が連結された1992年から2001年までの編成です。


いろいろ調べても、しばらくすると中間のキロハやキハの向きを忘れてしまうので、後から分かる様にマークを付けておこうかと思います。


参考にさせていただいたHP・ブログ(敬称略):Kai-chanの鉄道旅情写真館、今も昔もレイルファン、Wikipedia、日本車両HP、その他




2026年6月26日金曜日

1997年 山陰本線(Nゲージ)急行だいせん 14系15形・12系3000番台

 1994年12月に寝台客車が14系から置き換えられた後、1999年10月のDC化まで活躍した14系15形連結の急行だいせんです。座席車の12系は1991年11月からグレードアップ車の3000番台になっています。トミックスの車両セットを導入しました。

DD51 1179

1976年10月製造。まもなく登場から50年になります。今(2026年6月現在)でも後藤総合車両所配置で現役です。社外品のエッチング製ナンバープレートを付けています。

スハフ12 3002

普段は5両編成ですが増結もあるので、編成の両端はスハフ12もスハネフ15も発電エンジン付きです。

オハ12 3001

12系客車には横軽対策Gマーク(Gマークと言うのは初めて知りました...)が付いているので調べたら、横川-軽井沢間廃止は1997年9月末でした。

オハネ15 13

通路側に比べて寝台席側窓の天地寸法が狭いオハネ15 0番台です。ちなみにオハネ15にはオハネ25 100番台から改造された車両があるそうです。

オハネ15 17

 横軽対策されておらず、Gマークは付いていません。

スハネフ15 5

オリジナルの14系(24系)よりも後退角の浅い折妻の形状が好きです。

スハフ12とスハネフ15の後位側(車掌室側)はアーノルドカプラーのままですが、ジャンパー線パーツを取り付けています。それ以外はすべて密自連形TNカプラー0374に交換しました。トイレタンクPZ-106は入手不可能ですので、ひとまず余っていたPZ109の排出口と取り付け用の爪を切り取って、接着剤で付けておきました。

JR西日本にのみ残るDD51ですが、2026年になってから全検を受けた車両もあるそうです。

24系25形や14系15形の平べったい妻面が結構好きです。

行き先方向幕とトイレ窓はネットで見た加工例を参考に裏から白いシールを貼りました。手塗りやエアブラシより簡単です。

こんな感じになりました。


12系客車が前寄りに連結されているのは上り列車です。

オハネ15が2両続きますが、向こう側の車両は白いシールを貼り間違えていました。直しておきました。

直しました。特急出雲浜田編成に次いで5両編成の寝台列車2本目です。⇒特急出雲 浜田編成


参考にさせていただいたHP・ブログ・動画(敬称略):鉄道mellow.こんなのよく残してたねTV、裏辺研究所、レイルラボ、有栖川のミニィ、鉄道車両と旅客機画像のページ、4号車の5号車寄り、波浪規定の部屋、J鉄局の鉄道ブログ、国鉄型車両ファイル、鉄道ファン、オキラクウサギ、try widely、Itreni、 Yahoo知恵袋、Wikipedia、その他

2026年6月24日水曜日

キハ30 25(Nゲージ)オデコタイフォン

 KATO キハ30T車がもう1両ありましたので、高岡から転属してきて相模線で活躍したオデコ・タイフォン付きのキハ30 35にしました。タイフォンのシャッターは後に撤去されていますが、シャッター付きの状態にしました。


トミックスのキハ40用タイフォンを使いますが、差し込み部分が段付きになっているので、車体に密着する様にピンバイスで穴をあけました。

トミックスのドア開閉ボタンインレタ残りを使用します。

ツヤ消しクリア仕様にしました。

所属標記は西ハチにします。ちなみに茅ヶ崎機関区が拠点の相模線気動車は西ハチ所属ですが、八王子に留置されていた八高線気動車は高タカ所属でした。その後、1986年に西ハチから茅ヶ崎に転属しましたが、ちょっと謎です。

タイフォン取り付け時に流し込み接着剤が結構はみ出していたのですが、つや消しクリアで目立たなくなりました。

参考にさせていただいたHP・ブログ(敬称略):景図工房、My Station Odyssey 2、きはゆに資料室、その他