予讃本線のとある中間駅です。2番線で貨物列車が急行列車を退避中です。
飛勢線(Nゲージ・レイアウト)
非電化ローカル線を中心にしたレイアウトです。名前と違って地を這うペースで工作しています。
2026年3月25日水曜日
1984年 予讃本線(Nゲージ)貨物列車
2026年3月23日月曜日
ワキ5000(Nゲージ)追加増備
トミックス1両とKATO1両を追加増備しました。KATOはトミックスの半額で売っていたボディーに若干キズ有りの中古品です。
2両共、改番してウェザリングします。換算標記が消えたり数字がずれたりして、手持ちのインレタでちょっと雑に修正しておきましたが遠目には分かりません。
こちらのKATO前期型は少しキツめにウェザリングしました。
計5両になりました。
2026年3月21日土曜日
国鉄コンテナC10・C11(Nゲージ)整備
SHOPねこまたの国鉄型コンテナC10とC11を組み立てました。
C10は妻面1か所開きタイプ、蒸気機関車と同じ形式名です。屋根は平板タイプとプレスタイプがあるのでそれぞれ2個ずつとし、右奥の1台は積み重ね用爪付きにしました。
2026年3月19日木曜日
トミックス フォークリフト(Nゲージ)塗り替え
10年以上前からある黄色とオレンジのトミックス・フォークリフト(2台)セットを黄色1色に塗装しました。トミックスHPを見ると1987年から販売されているロングセラーで、色のバリエーションは何通りかある様です。
分解時に片方のフォークを折ってしまいましたので、接着し直しておきました。
最後につや消しクリアを吹き付けておきました。
以前に塗り替えてあったもう1台(左)と並べてみました。
2026年3月17日火曜日
1989年 木次線(Nゲージ)
1989年の木次線です。ほんのちょっとだけ備後落合駅の雰囲気です。
木次線では1966年に木次機関区へ新製配置されたキハ52の138~140の3両と1967年に千葉から米子に転属して来たキハ53の6~7、簡易荷物車のキハ52 601と602が長く活躍していました。
1983年に事故廃車になったキハ53 6の補充として盛岡からキハ52 128が盛岡から米子に転属して来ましたが、その前年の1982年まで小牛田で急行いなわしろに使用される為に国鉄一般色のままだった同車が1999年に廃車されるまで後藤工場がその塗色を維持していたのは有名な話です。クリーム色4号はキハ58で使われていましたが、朱色4号はわざわざ128の為に用意したのでしょう。
当時、備後落合-出雲横田間はキハ52またがキハ53単行でしたが、出雲横田-宍道間では増結用にキハ40が使用されていた様です。
1967年の改造から長く活躍していたキハ52 601(元4)とキハ52 602(元7)はエンジンが縦型DMH17だった為か比較的早く1984年に廃車される事になり、その代替としてキハ53 1と2が七尾から米子に転属してきました。
朱色5号と国鉄一般色の組み合わせがとても魅力的です。ちなみに木次線から蒸気機関車が引退したのは1969年、キハ07が引退したのは1970年でしたが、細かい事はいまひとつ良く分かりません。
陰陽連絡急行として1966年から活躍し、グリーン車連結や夜行列車も運転されていた急行ちどりは最後は2両編成でした。1990年には木次線から撤退して広島-備後落合間の芸備線線内運転になります。
参考にさせていただいたHP・ブログ(敬称略):線路は続く、国鉄色祭り、あばさんonX、入間郡onX、きはゆに資料室、Red'sPrincess Journy、その他多数
2026年3月15日日曜日
キハ53 7(Nゲージ)
キハ53 7です。
インレタを入れて半光沢クリア仕上げしました。写真ではよくわからないと思いますが、後位側の検査標記が上下逆さまになっていました。
毎度毎度同じ事をしていますが、モーターカバーをつや消し黒とねずみ色1号で塗り分けます。
今回は排気煤汚れもウェザリングもなしで全検出場直後仕様です。
木次線シリーズが3両揃いました。
2026年3月13日金曜日
キハ52 140(Nゲージ)
KATOキハ52首都圏色M車を整備しました。
128番と共に木次線で活躍した140番にします。
ところがなんと、仕上げ後に2ー3回下回りを組み込み直しているうちに車体下部が欠け、割れ目がだんだん広がり窓まで達してしまいました。インレタ保護にMR.カラーのつや消しクリアで塗装したのがいけなかった様です。
中古のT車が販売されていたので、入手しました。