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2023年8月20日日曜日

キハ40 539・542(Nゲージ)整備

 キハ40 500番台中期型セットを整備しました。

キハ40 539                                  信号煙管取り付けとインレタ貼り付けのみです。

キハ40 542                                       こちらも合わせて山形在籍車ナンバーにしておきました。

M車についてはいつも通り、床下機器ブラックアウトを行っています。エンジン左側のサイレンサーは好みで銀色に塗ってありますが、写真でも肉眼でもあまりよく分かりません。


2023年4月12日水曜日

1990年 播但線(Nゲージ)キハ40 2082  

姫路区に配置されていたキハ40はキハ47と共に播但線全線で活躍していましたが、ごく一部を残して1991年に加古川に転属しました。

国鉄仕様から1両、JR仕様に変更しました。

まず、JRアンテナを取り付けました。

そして列車種別幕を交換して終了です。1992年には「姫路⇔和田山」の様な行き先表示になっていますが、1980年代末期から1990年代初頭は従来からの”普通”表示だったと思われます。

側面にJRマークを入れ、車番を2082にしておきました。


2022年2月22日火曜日

キハ40(Nゲージ)動力台車 整備

 2両目のキハ40がM車ですが、大分走りが悪くなっています。台車周りの整備をしました。

特製通電メンテ台です。

台車スプリング上の集電板をクリーナーで清掃します。

車輪が結構汚れていました。ゴムタイヤレス化した上で、メンテ台の上で#10000の耐水ペーパーで磨きました。

まずまずきれいになりました。

スムーズに走る様になりました。





2021年8月22日日曜日

キハ40(盛ハヘ)盛岡色(Nゲージ)

元は只見線用東北色に混結させる為に1両だけ盛岡色を導入したのですが、気付いたら大量に増備していました。 (再編集)


キハ40 545(M車)

どこで見つけて来たのか、ちょっと思い出せませんが、外付縦樋タイプM車です。トミックスのキハ40系は沢山在籍しているのですが、いつかこのタイプの普通の首都圏色が出たら、ついつい購入してしまいそうです。

この車両は新タイプの優先席ステッカーです。


キハ40 558(M車)

盛岡色1両目です。只見線応援車風に東北地域本社色に混ぜて活躍させようと思って導入しましたが、トミックスキハ40盛岡色T車の下回りを他のM車に交換し、津軽線風に単行で走れる様に整備しました。縦樋が埋め込まれた554番以降の後期型です。


シート部分をマスキングして塗り分けてみました。

オデコの後ろの灰色部分と屋根の色を合わせる様に両方共、Mr.カラーのFS36231つや消しグレーで塗り直してから、衛星電話アンテナの台座周りにねずみ色1号を吹き付けておきます。テナの台座周りに、ねずみ色1号を吹きけておきます。

タイフォン上部を赤く塗っておきます。(取り付け時に角が剥げるので、後からタッチアップしました。)


完成です。車番は2005年只見線応援車の558号車と593号車のうち、衛星電話アンテナ付の558号車にしました。(当時の貴重な写真をインターネットで拝見する事が出来ましたが、只見線応援当時はまだ衛星電話アンテナは未取付だった様です。)トレジャータウンのレタリングを貼りましたが、1両だけでも結構大変でした。仕上げに半光沢クリアを吹き付けておきました。

インターネットで「キハ40八戸 屋根」と検索していたら、海沿いを走る八戸線で見られた屋根上が格子状に錆びた状態を再現している、素晴らしいウェザリングの記事を見る事が出来ました。 こちらはいつも通り、軽めのウェザリングです。

シートの塗り分けは結局、失敗でした。グレーのままにした部分が大型テーブルに見えます。


そこで紫1色に塗り直しました。新タイプの優先席ステッカーを貼りましたが、558号車は旧タイプのステッカーだった様です。

そこで545号車増備の際に窓ガラスを交換して、旧タイプ優先席ステッカーを貼りました。

キハ40 588(T車)
こちらは検査出場直後という事で、屋根も床下もねずみ色1号で塗り、ウェザリングなしです。

エアフィルターとエンジンの一部を銀色に塗っておきましたが、あまり目立ちませんでした。

キハ40 593(T車)
2両目に増備しました。この車両には衛星電話アンテナが設置されていません。

558(M車)と共に盛岡色キハ40x2両編成が楽しめる様になったのですが、結局、もっと増備する事になってしまいました。


キハ40(盛ハヘ)赤鬼色 キハ40 592塗り替え(Nゲージ)

 キハ40赤鬼色はさほど好みではないのですが、1両位は欲しいところです。今ではプレミア価格でないと入手困難な様ですので、塗り替えて作ることにしました。

2両あった新潟色赤T車のうち1両が、キハ40 590に黒Hゴム窓を供出して休車になっていたので、その車体を塗り替える事にしました。IPAに数日浸しても全然塗装が落ちないので、電気ストーブの前で温めたら少しは落ちる様になりましたが、これ以上は落ちません。

そこでボディーにヒビが入ったらどうしようとビビりながら、プラ用シンナーを付けた綿棒でここまで落とす事が出来ました。まだすこし白い塗膜が残っている様ですが、この辺りであきらめました。

塗装開始です。以前、キハ47 1547を塗り替えた時を思い出しながら進めます。

しかし、裾の赤帯を塗る際に室内に赤が吹き込んだり、指に付いた塗料が付着したり、マスキングが甘かったりと、いまひとつ上手くいきません。

それでもなんとか、ここまで来ました。タッチアップ跡や汚れ等で出来はいまひとつですが、遠目にはなんとか見れる様になりそうです。

レタリングを入れて艶消しクリアで仕上げて完成しました。

車番はトミックス純正インレタの切り継ぎです。”キハ40 5”と103系カナリア色用インレタから見つけた”92”を組み合わせました。屋根や床下はやや強めにウェザリングしてあります。

まあ、もう一度やり直さなくても良いかという感じのギリギリ及第点です。

2020年9月24日木曜日

1980年代 只見線<Nゲージ>⑥ キハ40 560+キハ48 1533+キハ58 495

この編成はキハ40単行が出来る様に、T車とのリード線接続は止めました。かつて会津川口までの単行運用があった様です。

キハ40 560
この車両は1980年に郡山に新製配置されました。90年代に入って小牛田、八戸を経て新津に転属し、最後までクロスシート・新潟色青のままでした。引退後はミャンマーに行きました。

キハ48 1533
只見線を走った首都圏色トイレ無しキハ48は1988年に小牛田から来て3年弱で再び小牛田に戻った1511・1512の2両でしたが、側面雨樋取り付け加工が面倒なので、1990年代後半に会津若松にいた1533のナンバーを付けてあります。ちなみに1533は小牛田を経て最後は新津区で新潟色青になり、只見線小出口でも活躍しました。

キハ58 495
長く新潟で活躍した後、84年から1年間だけ盛岡配置、その後、85年から91年まで郡山に所属。新庄に半年だけ行ってから小海線に移り、最後はK1型K01としてサハリンの地を走ったそうです。

2020年9月18日金曜日

キハ58・40系<Nゲージ>⑤ キハ28 415+キハ40 562+キハ58 694

1985年~86年頃の只見線をイメージにした編成を楽しんでいます。急行色が首都圏色をサンドイッチしている編成です。

キハ28 415
キハ28後期型非冷房車です。
確かボディーはキハ58後ろ側の給水口を埋めて、床下は昔の非冷房キロ27のものを使った気がしますが、随分前なので記憶がちょっと曖昧です。前後共に出入口上部にベンチレーターを取り付けてあります。 
実物は小牛田から85年に郡山に転属し、91年に廃車になっていました。

キハ40 562
郡山から91年に新庄に行き、99年に会津若松に戻っていました。

キハ58 694
屋根上水タンクを角型に交換してあります。屋根に薄いつや消し黒を吹いている時に飛沫が飛んで灰色を塗り直したのですが、なんとなくくたびれた感じになって良かったです。
実車は小牛田から82年に郡山に来て96年に会津若松で廃車になっていました。

本物は見た事がありませんが、雑誌や諸先輩方のHPやブログで拝見した、いかにも只見線という雰囲気になりました。

国鉄末期の車体はかなり汚れていた様ですが、ウェザリングはほどほどにしてあります。

見上げる角度からいい感じで撮れました。