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2026年3月17日火曜日

1989年 木次線(Nゲージ)

 1989年の木次線です。ほんのちょっとだけ備後落合駅の雰囲気です。

木次線では1966年に木次機関区へ新製配置されたキハ52の138~140の3両と1967年に千葉から米子に転属して来たキハ53の6~7、簡易荷物車のキハ52 601と602が長く活躍していました。

1983年に事故廃車になったキハ53 6の補充として盛岡からキハ52 128が盛岡から米子に転属して来ましたが、その前年の1982年まで小牛田で急行いなわしろに使用される為に国鉄一般色のままだった同車が1999年に廃車されるまで後藤工場がその塗色を維持していたのは有名な話です。クリーム色4号はキハ58で使われていましたが、朱色4号はわざわざ128の為に用意したのでしょう。

当時、備後落合-出雲横田間はキハ52またはキハ53単行でしたが、出雲横田-宍道間では増結用にキハ40が使用されていた様です。

1967年の改造から長く活躍していたキハ52 601(元4)とキハ52 602(元7)はエンジンが縦型DMH17だった為か比較的早く1984年に廃車される事になり、その代替としてキハ53 1と2が七尾から米子に転属してきました。

朱色5号と国鉄一般色の組み合わせがとても魅力的です。ちなみに木次線から蒸気機関車が引退したのは1969年、キハ07が引退したのは1970年でしたが、細かい事はいまひとつ良く分かりません。

陰陽連絡急行として1966年から活躍し、グリーン車連結や夜行列車も運転されていた急行ちどりは最後は2両編成でした。1990年には木次線から撤退して広島-備後落合間の芸備線線内運転になります。

参考にさせていただいたHP・ブログ(敬称略):線路は続く、国鉄色祭り、あばさんonX、入間郡onX、きはゆに資料室、Red'sPrincess Journy、その他多数

2024年5月30日木曜日

1966年 木次線(Nゲージ)

 もう60年近く前の木次線です。ネット上で数々の貴重な記録を拝見する事が出来ます。


乗客の少ない木次-備後落合間では、C56がオハユニ1両と僅かな貨車を牽引する混合列車が走っていました。オハユニ61の座席定員は40名。当時からこの区間では利用客が少なかったのでしょう。

オハ61も連結されたこの編成だと定員は96+40=136名。101系・103系電車の先頭車1両と同じです(通勤型電車は立ち客も含めてなので単純に比較出来ませんが)。客車列車は1967年まで運行されました。

木次以北ではC11が活躍していました。貨車10両以上の貨物列車も見られましたが、1965年以降5年間で貨物取扱量は半減したそうで、1982年には貨物輸送は廃止されました。

C11とC56の重連もあった様です。

キハ07 0番台は1966年8月までに廃車されましたが、200番台は1970年3月まで活躍しました。(写真のキハ07 10は1963年に廃車になっていました...。)

キハ52は100番台が3両、1966年5月に木次に配置され、液体式変速機に交換されていたキハ07 200番台との連結運転も行われていました。(模型は0番台なので雰囲気だけです。)

キハ52のうち1両138は配備翌年の1967年、客車列車廃止の際に半室郵便荷物代用車の651に改造されました。

1966年の木次線には同年から急行に格上げされた列車が3往復走っていました。”ちどり”2往復と”いなば”1往復です。”ちどりは広島-米子間2往復(木次線内上りの米子行きは岩国始発)のうち1往復が夜行列車、”いなば”は広島ー鳥取間に1往復でした。この頃が木次線の全盛期だった様です。

木次線から蒸気機関車が引退したのは1974年です。同線の亀嵩駅を全国的に有名にした松本清張原作の”砂の器”が公開されたのも1974年でした。

参考にさせていただいたHP・ブログ・他:岡山模型店、記憶の中の鉄道、DRFC-OB デジタル青信号、木次線利活用推進協議会、わが国鉄時代2、中華特急のスローライフ、Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記、私の撮った鉄道写真、SL現役の頃・そしてその後、鉄道写真帳「蒸気の匂った時代」、Wikipedia、鉄道ピクトリアル、きはゆに資料室、ARC資料館、その他

2024年5月28日火曜日

1966年 木次線(Nゲージ)木次機関区

 木次機関区の雰囲気です。

設置場所に少し無理があるものの、ダミーでも作っておいて良かったなぁと思う転車台です。⇒転車台制作記事はこちら

蒸気機関車が増えてきたので、そろそろ水タンク脇に給炭台を作ろうと思います。


その昔、機関車はC11とC56、ディーゼルカーはキハ02からその後キハ07とキハ52、その他に客車や貨車が活躍していた木次線ですが、今では後藤総合車両所出雲支所所属のキハ120が8両活躍するだけになりました。

参考にさせていただいたHP(敬称略):鉄道写真館・蒸気機関車がいた時代、その他 

2022年7月29日金曜日

1985年 木次線(Nゲージ)キハ53・キハ52・キハ40

 キハ53を整備しました。こちらの首都圏色は一般色からの塗り替えですが、のちに首都圏色の製品も発売されました。

キハ53 2

シートパーツを青15号、床下のモーターカバーをグレーとつや消し黒で塗分け塗装しました。

オリジナルの0番台と100番台は合わせて11両しか作られなかった少数派です。                                                        1・2 七尾から米子を経て津山で廃車                                  3   七尾から伊勢に転じたのち、富山、小浜へ。                                4・5 亀山・伊勢で活躍したのち、富山、小浜へ。                           6・7 新製直後に千葉で夏期輸送に使われたのち、長く米子。7は最後津山に。      8・9 大分で廃車まで                                           101・102 鹿児島で廃車まで

こちらは一般色のままです。ちなみに米子の6は崖下への列車転落事故で廃車になっています。

キハ53 7

キハ52と共にキハ120へ置き換えられるまで活躍しました。

急行ちどりです。一時期は人気列車で夜行も運転されましたが、1990年には木次線内の運転が中止され、広島-備後落合間の列車になりました。

こちらは首都圏色のキハ52とキハ40 2000番台です。

キハ52は138(登場後まもなく簡易郵便荷物合造車に改造され651)、139、140が長く活躍した後、キハ53事故廃車の補充で128が東北から転属して来ました。

キハ52 154

キハ40は出力不足で出雲横田以北でキハ52・53の増結用に使われていました。

キハ52 109