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2024年1月23日火曜日

1980年 二俣線(Nゲージ)貨物列車・ディーゼルカー

 ホキ2200増備で二俣線再登場です。名古屋臨海鉄道の知多駅、京葉臨海鉄道の食品南駅から金指駅までの飼料輸送が行われていましたが、1985年に金指駅の貨物営業は廃止になります。

二俣線では1980年まで、キハ20と共にキハ10・11・17が活躍していました。

現在の天浜線は「日本の原風景に出会う旅。」を標榜し、素晴らしい田園風景の中を走りますが、40年前にはその中を国鉄型気動車が走っていました。

二俣線は当時からローカル線でしたが、今よりも乗客はずっと多く、2~4両編成のディーゼルカーが走っていました。


C58の頃もDE10に代わってからも、貨物列車は重連で牽引されていました。

元々、二俣線は掛川から遠江二俣を経て恵那に至る遠美線として計画されたものがその後、軍事上の要請で東海道本線迂回路として遠江二俣-新所原間が作られましたが、その区間内はカーブも多く知波田-尾奈間の利木峠と都田-宮口間の都田峠には25%の勾配がありました。

現在の天浜線には国鉄色や湘南色のディーゼルカーが走っている他、最近は遠州鉄道と共にアニメのエヴァンゲリオンとのコラボ、昨年の大河ドラマどうする家康ラッピングのディーゼルカーも走っているそうです。


金指からのセメント列車は掛川方、新所原方の双方に出荷され、飯田線を経由して佐久間ダム建設にも大量に輸送されたそうです。

久しぶりに動画を撮ってみました。

参考にさせていただいたHP・ブログ(敬称略):昭和の鉄道員ブログ、鉄貨丼・鉄道貨物のページ、日本の鉄道貨物輸送と物流、あんみつ坊主の貨物の小部屋、akaの鉄道撮影&秘蔵記録、ヤスのひとりごと、自動車塗装の自分史とSL写真展、二俣線の詩、鉄道写真帳「蒸機の匂った時代」、My Station Odyssey2、その他

2024年1月21日日曜日

キハ11 59(Nゲージ)静マタ

 キハ11首都圏色をHゴムトイレ窓に改造しました。

前回キハ12同様にキハ58廃車体のトイレ窓をはめ込みます。

出入口上のベンチレーターをKATOのクハ86用に交換しますが、これが最後の在庫になりました。もう80系電車の再生産はないでしょうか。

出来上がりました。

いつも通り縦樋を削り落とし、0.4mm丸棒を接着してあります。ちょっと塗装が削れてしまったのでタッチアップしておきました。

ところでキハ11 0番台のHゴムトイレ窓への変更と車番との関係がいま一つ良く分からなかったのですが、”鉄道ピクトリアルNo.980【特集】思い出のキハ17系”で長年の疑問が解決しました。キハ11 27~33、44~63がHゴムトイレ窓に変更されたそうです。

最初は手持ちのインレタでキハ11 41にしたのですが、59に変更して二俣線両幌仕様にしました。


2023年9月27日水曜日

1980年二俣線(Nゲージ)ディーゼルカー、貨物列車

整備したキハ17 22とキハ11 3を登場させて、久しぶりに1980年二俣線の旅です。まずはちょっとだけ天竜川橋梁の雰囲気です。 

1970年代、二俣線にはキハ10・11・17が多数配置され、キハ20と共に活躍していました。


しかし1980年になると関西からキハ20・25が転入し、置き換えが進められました。同年3月から5月にキハ10やキハ11が多数廃車になっています。ネット上では幌を外されて”手歯止め使用中”札を付けられ、駅西側の側線に留置されている姿を見る事が出来ます。

検査周期の関係からか、最後に廃車になったのはキハ17初期型一般色の22と首都圏色の62で、同年8月1日付でした。

1982年11月1日付で貨物扱いが廃止になる前の遠江二俣駅には、舞鶴港からの原木輸送がありました。元々は天竜川に筏を組んで上流から運ばれた材木を製材する工場が周辺に多かったそうです。


金指駅から専用線の伸びていた磐城セメント、のちの住友セメント浜松工場は佐久間ダムやその周辺へのセメント供給拠点として大量のセメントを生産していたそうで、金指から飯田線中部天竜等に二俣線・飯田線経由で輸送されたものも多かった様です。

金指にはJA静岡経済連のサイロがあり、名古屋臨海鉄道や京葉臨海鉄道から飼料がホキ2200で運ばれていた様です。また遠江二俣には機関区の気動車燃料か製材工場の燃料か分かりませんが、タンク車が沢山留置されていました。

1982年で遠江二俣駅の貨物取扱いが廃止になった後も、金指駅の貨物扱いが廃止されるまで遠江二俣-金指間はDE10重連単機回送されていたそうです。1984年に住友セメント浜松工場は閉鎖、専用線は廃止され、金指駅貨物営業は1985年3月14日に終了しました。



参考にさせていただいたHP・ブログ(敬称略):きはゆに資料室、My Station Odyssey 2、鉄貨丼~鉄道貨物のページ、汽車道楽の部屋、二俣線の詩、ザ・カイソー、津島軽便堂写真館、鉄道写真帳「蒸機の匂った時代」、超快速やまやのブログ、ハイパーセントラル21号のブログへようこそ、昭和の鉄道員ブログ、他

2023年9月23日土曜日

キハ17 22(Nゲージ)

 トミックスのキハ17を改造して初期型22にしました。

雨樋前部を0.1mm厚のプラバンで延長しておきます。

いつも通り、0.4mm径のプラ丸棒を接着しました。完全に固着する前に修正します。

マスキング後に塗装し、タッチアップしておきました。

インレタは文字サイズが改良されたキハ22用を切り貼り使用しています。シートパーツはいつも通り青15号で塗っておきました。

妻面の昇降用ステップを削り落とし、ガイアマルチプライマーを使って朱4号を塗装したKATO旧型客車用ハシゴを取り付けて完成です。

22は、真岡を振り出しに奈良、沼津、釧路、美濃太田、大垣を経て、1971年から1980年8月1日に廃車されるまでは遠江二俣区に配置されていました。

二俣線の気動車は他に例を見ない「両幌」使用でした。連結時に邪魔にならない様、上部の折り畳み時引っ掛け用金具がない、気動車版静鉄ホロといえる様な独自のタイプの幌でした。扇形庫と転車台を持つ遠江二俣区で運用するのに便利だったのでしょう。幌パーツは沢山余っているので、金具を切り落としておきました。


2021年1月23日土曜日

1980年 二俣線 トキ25000 原木輸送(Nゲージ)

 二俣線風原木輸送貨物列車です。

インターネットで調べると実物は舞鶴港駅から遠江二俣駅まで輸入木材を運んでいた様です。遠江二俣駅の貨物扱いは1982年11月に廃止になっていました。

原木輸送にはトキ25000の他に、専用のトキ23800が使われていたそうです。トキ25000の妻板を高くして原木転動防止用の柱を側方に取り付けた車両です。ネットで貴重な写真を拝見する事が出来ました。

テムはセメント工場のあった金指から袋詰めセメントでも運んでいたのでしょうか。

天竜川を渡る鉄橋(のつもり)です。

緑の風景の中を走る原木輸送列車、なかなか良い感じです。”日本の原風景”を標榜する、今でも素晴らしい景色の中を走る天浜線で、40年前に活躍していた貨物列車の雰囲気です。


2021年1月19日火曜日

1980年 二俣線(Nゲージ)

 二俣線風です。DE10重連が牽く原木輸送貨物列車が出来たので、先日、ウェザリングをしたキハ17・20系気動車を出してきました。

国鉄一般色と首都圏色の混色が良い感じです。

特にキハ20一般色は結構前の製品ですが、あまり走らせていませんでした。好調な走行です。

最近は天浜線に国鉄一般色を模した塗装のディーゼルカーが走っている様です。


2021年1月17日日曜日

トキ25000 原木輸送 積荷

 近くの緑地に行って直径3~4mmの枯れ枝を拾ってきました。

どれ位の太さがちょうど良いか分からなかったので、沢山拾ってきました。

皮目の粗い枝は樹皮を削りました。

いつも通り、現物合わせで進めます。一応、短い方は28mm、長い方は56mmを目安に切りましたが、結構誤差があります。

それらしくなって来ました。

ちょっと太目ですが、針金を巻いておきました。

完成間近です。

タミヤカラーのレッドブラウンと艶消し黒を混ぜたものをうすめ液で溶いて塗り、全体の色調を揃えておきました。

昔の二俣線風貨物列車です。