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2024年1月31日水曜日

1978年 烏山線(Nゲージ)

 キハ11首都圏色を整備したので、久しぶりに烏山線です。

烏山線用には1971年現在、キハ10とキハ11が10両、宇都宮運転所に配置されています。1968年撮影のキハ20の写真が有ったり、1979年のキハ40置き換え直前には関西から一般色、水戸から首都圏色のバス窓キハ20がそれぞれ1両ずつ転入していましたが、70年代はずっとキハ10とキハ11だけの配置だった様です。

1975年に相模線キハ10から始まった朱色5号への塗り替えは首都圏で先行して進められました。1977年にはまだまだ一般色が多かった様ですが、烏山線のキハ10・11も1979年のキハ40への置き換え時には、すべて首都圏色に塗り替え済でした。

当時は1日12往復の列車が走っており、日中の烏山発宝積寺折り返しの1往復以外はすべて宇都宮まで直通運転していました。

夜間は2列車が烏山駅に停泊していました。烏山6:51発宇都宮7:42着の2番列車は両運転台のキハ10・11が5両編成で運転されていた様です。

烏山線は1975年に仁井田と大金の貨物扱いが廃止され、烏山駅のみの扱いでしたが、それも1979年6月1日で廃止されました。その後、1979年4月に操業開始したキリンビール栃木工場への仁井田からの専用線発着貨物の取り扱いが7月から開始され、貨物列車が復活しましたが、僅か5年弱の1984年2月改正で運行停止になっています。

1971年現在では2往復の貨物列車が走っていましたが、1978年には1往復だけだった様です。宇都宮には1978年3月現在でDD13のみの配置でしたが、1979年以降、DE10が転入し、ビール列車はDE10重連牽引だったそうです。

但し”DE10重連が牽くビール貨物列車”の写真に無蓋車が連結されているものがあったりしてちょっと謎が残りました。

参考にさせていただいたHP・ブログ(敬称略):ヤスのひとりごと、BJ41-Vの部屋、とちぎレイルビュー、淺川公生onX、にしみやうしろ仮駅、鶴くんの機関車観?館?、いーえいちごひゃくonX、南風、しまんと、剣山、ちょこっとだけ...、わくわくグランディ鉄道ランド、Wikipedia、鉄道ピクトリアルアーカイブセレクション18国鉄ローカル線1960~70、その他

2022年2月4日金曜日

1980年代 烏山線(Nゲージ)

 1979年に投入されたキハ40です。

こちらも画像検索すると沢山の貴重な写真を拝見する事が出来ます。

一時期見られなかった、昔訪ねた気動車ローカル線HPが見られる様になっていました。

首都圏色のキハ40x3両編成は気動車としては、あまり面白味がありません。

うさぴょんのマル鉄回顧録を拝見すると、1979年に運転されたミステリー列車銀河鉄道999号は12系客車9両編成だったそうです。


2022年2月3日木曜日

1970年代後半 烏山線(Nゲージ)

 烏山線のキハ10・11は70年代後半には首都圏色に塗り替えられ、1979年にはキハ40に置き換えられました。

画像検索すると、BJ41-Vの部屋HP様で、キハ10・11活躍の頃からキハ40への置き換え、そしてJR化以降までの素晴らしい記録を拝見する事が出来ます。

1979年のキハ40への置き換え間際には、バス窓の一般色と首都圏色のキハ20が1両ずつ借入られていたそうです。バス窓の模型がないので普通の二段窓で代用です。

DD13が牽引していた貨物列車はDE10で代用です。


キハ40との並びです。

2022年2月2日水曜日

1970年代前半 烏山線(Nゲージ)

初めて烏山線の事を知ったのは、古本屋で購入した、雪の中を走る8620が表紙の鉄道ピクトリアル誌の記事でした。

ネットで調べると鉄道ピクトリアルの目次一覧が出てきて、あっという間に1972年2月号だった事が分かりました。便利な世の中になったものです。

当時、烏山線は他の非電化路線と完全に離れた存在で、Wikipediaによれば、1968年時点でキハ10x3両とキハ11x7両の10両が宇都宮運転区に配置されていたそうです。

1970年代、首都圏では相模線に多くのキハ10が配置されていましたが、キハ10と11だけというのは珍しかったと思います。