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2024年12月25日水曜日

1994年 深名線(Nゲージ)秋 DE15試運転

 冬到来を前にDE15試運転です。深名線は1995年9月に廃止されたので、除雪用機関車の最後の活躍は1995年2~3月頃、最後の試運転は前年の秋、1994年10月頃だったのでしょう。

DE15はラッセル車ですが、ラッセル車では対応出来ない場合に登場するロータリー車による除雪排雪列車を「特雪(トクユキ)特殊排雪列車」と呼んだそうです。深名線で活躍するのはDE15よりもDD14背合重連の方がネット上で良く見る事が出来ます。なかなか迫力のある画像ですが、過酷な条件での撮影だったのでしょう。

調べてみるとDE15は2024年現在でも旭川と富山で活躍していました。

唐突ですが、キハ54単行です。

雪が降り始めたら、そう簡単に写真を撮りにいける路線ではなかったと思います。

ちょっとだけ似ている第三雨竜川橋梁は、廃線から30年経とうとする今でも残されているそうです。

2020年から製造されているキヤ291に置き換えられるまでは、それほどかからないかもしれません。

後追いです。


キハ53 500番台とDE15、良い組み合わせです。

これまでラッセルヘッドを外したDE10 3500番台しか見た事がありませんでしたが、山陰本線で見かけてからすっかり気に入ってしまいました。

参考にさせていただいたHP・ブログ(敬称略):浜のポッポ屋のブログ、N de 旧型国電、Wikipedia、Website 61℃ Rusts & Weeds、広域社団法人土木学会北海道支部、その他

2024年12月21日土曜日

1991年 深名線(Nゲージ)下り始発921D

手持ちの時刻表1991年8月号を見ながら深川発下り1番列車を辿ってみます。

05:10発921D下り名寄行きは3両編成で出発しました。1991年3月に大幅なダイヤ変更が行われ、朱鞠内の夜間滞泊がなくなりました。下り1番列車は途中多くの駅を通過する様になり、43.7km先の幌加内まで1時間もかからずに到着します。ほぼ回送列車に近かったのかも知れません。

幌加内でこの列車から切り離された1両は、約30分後の06:43に960D上り深川行き1番列車になりました(深川着07:43着)。

幌加内06:10発下り列車は2両編成になり、朱鞠内までの35.1kmを40分で走ります。

そして朱鞠内に06:50に到着するとまた1両切り離しました。

残った1両は朱鞠内で列車番号を921Dから941Dに変えると06:55に出発し、43kmを56分で走って名寄着は07:51です。

朱鞠内で切り離された1両は朱鞠内07:53発の上り2番列車として深川に向かいました(深川着09:36着)。

名寄へ07:51に着いた下り941Dは08:10発の朱鞠内行きとなり、区間列車として1往復します。

あとはおおよそ時刻表から見当が付く運用ですが、朱鞠内最終到着の下り927D(18:39着)と上り946D(19:58着)の2本についてはその後に朱鞠内を出発する列車がありません。夜間滞泊は廃止になったのでどうなったのだろうと調べてみたら、2両は朱鞠内で連結した後に幌加内まで回送され、そこで深川からの下り最終961D幌加内止まりの車両に連結されて再び3両編成になり、上り964Dとして深川に戻っていった様です。

前年(1990年)までは朱鞠内に2列車の夜間滞泊があり、それぞれ名寄・深川方面への1番列車になるダイヤでしたが、1991年3月改正で列車も乗務員もすべて深川から出発する運用に変更されました。深川出発時は3両編成だった時期と4両編成だった時期があり、1両目の名寄行き車両のみ客扱いをしていました。

夜に深川まで戻った列車は旭川まで回送され、翌日の使用車両は早朝に旭川から深川へ回送されていたそうです。

参考にさせていただいたHP・ブログ・その他(敬称略):カナロコ神奈川新聞HP、Rail Artブログ、Wikipedia、Website 61℃、トリッパーズワールド、北福岡気動車館、交通案内社日本時刻表1991年8月号、Kami-kitamiのブログ、幌萌鐵道管理局・消え去りしものたち、ハンドル屋の娯楽室、RAILRAILRAIL毎日鉄道写真とともに、ただいま鉄道写真スキャン中、その他


2024年7月22日月曜日

1968年 深名線(Nゲージ) 

 昭和30年代に活躍したレールバスは昭和40年代になるとまもなく姿を消し、深名線ではキハ07とキハ22が使われていました。

深川のキハ07は、0番台が1966年に200番台が1969年に廃車になりました。

自然の風景に本当によく映えるカラーリングです。

当時の画像記録を拝見するとキハ22は積雪期にも単行で運転されていた様です。

1968年には函館からキハ12 2と14の2両が転入してきました。14は1972年に苗穂に転出しましたが、2は1978年の廃車まで深川で活躍しています。

貨物列車は9600が牽いていました。

1962年5月には混合列車が廃止され、客貨分離されたそうです。

しかしながら冬期のみ、名寄-朱鞠内間に9600牽引の貨物列車にスハユニ62が1両連結されて混合列車として運転されていました。

スハユニ62を調べてみると、10番が1974年に遠く都城に転属し1984年に廃車になるまでスハユニ62最後の1両として活躍していた事は、ファンの世界では有名な話だった様です。

もしかしたらスハユニよりもスハニ使用の方が多かったかも知れません。

おそらく深名線廃止の頃に発行されたのではないかと思いますが、「思い出の深名線」シリーズのオレンジカードがネットオークションに出品されており、その画像でキハ05やキハ07の姿を見る事が出来ました。

深名線に限りませんが、特に冬の北海道の厳しい自然環境の中で1日僅か数本の列車を追いかけられた貴重な記録の数々を拝見出来る事に感謝致します。

参考にさせていただいたHP・ブログ(敬称略):鉄道写真館-蒸気機関車がいた時代、中華特急のスローライフ、きはゆに資料室、急行越前の鉄の話、Wikipedia、Rail Artブログ、会津の自然と汽車 & 北信の田舎暮らし、昭和40年代の蒸機、全国おじてつ撮影紀行、思い出鉄道探検団、写真館汽車電車・なめくじ会、SL現役の頃、そしてその後、~世界の煙を追って、煙にまかれて~、てつまる、その他