2025年9月18日木曜日

1982年 磐越東線(Nゲージ)

ディーゼルカー、客車列車、貨物列車が活躍していた往年の磐越東線です。


客車列車は小野新町に夜間滞泊した編成が朝一番の郡山行きになり、郡山で編成を一部切り離した後、昼間に平まで1往復、郡山で再び増結して夕方に小野新町に向かっていた様です。

スハニ64というキャプションが付いた写真があって調べてみると、オハニ61を電暖化した際に重量が重くなって登場した形式だそうです。最後は郡山に2両配置され磐越東線で使われたとの事ですが、写真を見るとスハニを連結している列車としていない列車がありました。客車列車は1984年4月から1985年3月までの短い期間だけ50系客車に置き換えられた後、引退したそうです。

大越駅には住友セメント田村工場への専用線が接続し、工場が廃止された2000年までセメント貨物輸送が行われていました。

小川郷からはセメントの原料である頁岩(けつがん、粘土質の岩石)が住友セメント田村工場と四ツ倉工場に鉄道輸送されていました。四ツ倉工場は1983年に閉鎖され、田村工場向けも輸送量減の為に1985年からはトラック輸送に切り替えられたそうです。

大越-安積永盛間では秩父セメント貨車を使った輸送があったそうです。昔はセメントメーカー同士で製品を融通し合っていたとどこかで読んだ覚えがありますが、メーカーが違ってもあまり品質差がないのでしょう。

郵便荷物合造ディーゼルカーはかつてはキハユニ18等が使われていましたが、1980年頃はキハユニ26でした。

1982年10月と1983年2月に2両のキユニ28が郡山配置になりましたが、1984年1月末には磐越東線の荷物輸送が廃止され、岡山に転出しました。

普通列車はかなり高い確率で急行色と首都圏色の混色だった様です。お気に入りの組み合わせです。

水戸-仙台間(福島-仙台間は普通列車)を走っていた急行いわき1号仙台行きと4号水戸行き(仙台-福島間・平-水戸間は普通列車)、平-福島間を走っていた急行いわき2号平ゆきと3号福島行きは1982年11月改正で廃止になり、ほぼ同じ時間に運転される快速になりました。

いわき1号・4号は水戸区のグリーン車付き5両編成で、電源付きキハ28が連結されていた福島まではおそらく普通車も全てクーラーが使用出来たのだと思います。引き継いだ快速1往復は水戸-平間が廃止になって郡山区の普通車編成になった筈です。もう1往復は磐越東線内運転、郡山-平間の快速になりました。

1995年の磐越自動車道いわき-郡山JCT間の開業によって磐越東線は大きな影響を受けたのだろうと思いますが、1982年の時刻表と現在の時刻表を比べると、列車本数は少し増えています。

参考にさせていただいたHP・ブログ(敬称略):LOCO PHOTO Ⅱ 、鉄道・四季憧憬、庶茂内模型鉄道、1980年4月国鉄の世界、急行越前の鉄の話、平機関区の作業日誌、SL現役の頃そしてその後・更に庭園鉄道、Rail・Artブログ、ねこの撮った汽車、汽車道楽の部屋、1980年代国鉄撮影日記、懐かしい駅の風景~線路配線図とともに、歩鉄の達人、いわき市HP、重単5175、8094倶楽部、鉄道と鉄道模型の画像たち by かなでてんじん、ARC資料館、きはゆに資料室、kamikitamiのブログ、Wikipediaその他



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