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2023年11月26日日曜日

1982年 水郡線(Nゲージ)

水戸機関区に初めてキハ40 2000番台が配備されたのは1979年6月です。6両が新製配置されました。


キハ40 2000番台はその後、1982年2月から3月に追加で4両が新製配置されています。

そして1982年2月には初めてキハ47が配置されました。 0番台3両と1000番台2両です。このキハ47 5両はのちに全車新潟に転属しました。

1979年に登場したキユニ28は1984年3月で撤退、転属しました。


水郡線の客車列車は1982年時点では夕方2本(4両編成と5両編成)の水戸発常陸大子行きが翌朝1本(9両編成)にまとめられて上り水戸行きになる列車と、朝に水戸-常陸太田間を1往復する列車がありました。1983年6月1日改正で客車列車は廃止されたそうです。

1982年11月号時刻表復刻版を見ると、急行奥久慈3・2号については上野ー常陸太田間1両はそのままですが、上野-磐城石川間は3両に減車されていました。

キハ45は当時4両の配置でしたが、1984年以降続々と転入し、一番多い時には15両配置になりました。

朝の列車の写真を参考に編成してみました。

参考にさせていただいたHP・ブログ(敬称略):Brass Solderの ごにょごにょ、70s/80s Monochrome Age and years of Ektachrome film、日本国有鉄道のころ、1980年代国鉄撮影日記、線路を渡る風、水郡線紀行、急行越前の鉄の話、4travel.jp、茨城の鉄道趣味のページ、ERWのブログ、N de 旧型国電、美美模型、国鉄型車両ファイル、通、アナログからデジタルへ、レールメカノス、きゃばちょこです、kano鉄道局、RK406 My Hobbies、The Repository of My Rail Hobbies、ERWのブログ、不定期列車、 nkアーカイブス、水郡線のページ、きはゆに資料室、その他

2023年11月25日土曜日

1978年 水郡線(Nゲージ)

水戸区には1957年から58年にかけて配置された3両のキハユニ15、8・10・13がいました。


その後、置き換えの為に2両のキハユニ26 16・19が転入し、キハユニ15のうち8は1977年1月、10は1979年5月に廃車になっています。

1979年7月から11月にかけてキユニ28が4両水戸に配置され、キハユニ26は同年8月末で郡山に転属しましたが、キハユニ15の13だけはキユニ28が4両揃う1979年12月まで生き延びた様です。

キハ26は100・200番台3両のうち2両が1982年まで活躍しました。400番台は3両居ましたが、うち1両は1978年末に一ノ関に転出し、残りの2両は1980年に廃車になります。いずれも水戸区では急行色のままで、朱色5号に塗り替えられる事はありませんでした。

キハ11は4両在籍、1978年に1両廃車になり、残りも1979年末までにキハ40に置き換えられて廃車になりました。首都圏の一般型気動車は1976年から朱色5号に塗装変更されましたが、1978年に一般色が残っていたかどうか分かりません。

キハ20は1980年に八王子から200番台が転入してくるまでは、バス窓0番台のみ6両の在籍でした。0番台の一部は1982年まで活躍します。キハ25 300番台は14両全車が水戸に配置され、一部は真岡に転じて1987年の第三セクター化直前まで活躍しました。

キハ35は1970年以前から5両配置されていました。キハ30の配置はありません。ちなみに1980年〜82年にキハ36が4両転入して来ましたが、1984年までに廃車または転出になっています。

キハ45は千葉から来た4両が長く活躍していましたが、80年代半ばには伊勢や新潟から多数が転入して来ました。

急行形気動車が普通列車に組み込まれる事もあった様です。

参考にさせていただいたHP・ブログ(敬称略):The Repository of My Rail Hobbies、国鉄型気動車忘備録、すてきちon X、きはゆに資料室、その他


2023年11月24日金曜日

キハユニ15 13(Nゲージ)水戸機関区

 キハユニ15を改良しました。

前回、オデコの塗分けを水郡線タイプの一直線塗りに変更した際、1灯式シールドビームに交換しようと思ったのですが、ライト径が小さくて銀河モデルのパーツが嵌りませんでした。キハユニ15オデコ塗分け変更

手持ちパーツのKATOキハ30用1灯式シールドビームが使えそうです。背面を平らに切り取って接着する事にしました。

元々KATOのキハ30はヘッドライトが大きめでしたが、取り付けてみるとデカ過ぎてダメでした。

失敗したらまた何か考えれば良いかと、思い切ってライトケース内側を削る事にしました。

ライトケース上部を傷めない様に気を付けましたが、下部が少し削れてしまいました。

レンズを紛失していたので、古いKATOキハ47のヘッドライトレンズを使いました。

なんとか良い感じになりました。ライトケース下部は削れたままですが、下から見上げる事はないので、問題ありません。

前部のダミーカプラー脇にジャンパー栓受を付けておきました。

車体中央に乗せていたウエイトは

黒く塗っておきました。

元はキハユニ15 6でしたが、

キハユニ15 13に改番しました。荷物・郵便インレタを入れ直し、所属区表記はキハ58用の水ミトにしました。床下と台車はいつもの走り込み仕様に塗装し、屋根上の排気口付近にちょっとだけつや消し黒を吹いておきました。

水戸機関区には10と13の2両のキハユニ15が配置され、1979年に廃車される前に2両共首都圏色に塗り替えられていました。10は2灯式シールドビーム、13は1灯式シールドビームでした。


参考にさせていただいたHP・ブログ(敬称略):おかひめの鉄道記録、きはゆに資料室、My Station Odyssey2、Yahooオークション、その他

2023年11月23日木曜日

1980年 水郡線 急行奥久慈(Nゲージ)

急行奥久慈は上野−水戸間では急行ときわに併結され、水郡線内は1・4号が郡山まで、2・3号は磐城石川までの運転でした。常陸大子以遠は各駅停車です。

常磐線では12両編成、水郡線内は4両編成ですが、2・3号の水戸-上菅谷間は常陸太田発着の1両を連結した5両編成でした。上菅谷ー常陸太田間の1両は他の普通列車に連結されて運行されていたそうです。

水郡線の普通列車用気動車はすべて1エンジン車だったので、さほどの急勾配はなかったのだと思いますが、奥久慈4両編成のうち2エンジン車キハ58は1両だけという事もあった様です。常磐線内は列車によって奥久慈編成が上野寄りだったり水戸寄りだったりしたそうです。

多客時には、ときわ編成のうちグリーン車を含めた3両が、おそらく指定席発券の関係だと思いますが、ときわの延長運転として常陸大子まで連結され、7両編成で走っていたそうです。


急行ときわ・奥久慈についてはネット上で編成や運用に関する貴重な記録を沢山拝見する事が出来ます。1978年の編成記録にはバス窓のキハ55 19が組み込まれていました。(ちなみにキハ55 19実車は常磐無線アンテナ付きです。)

その後、ときわ・奥久慈は1982年に11両編成、1984年には10両編成に減車され、1985年に廃止になりました。

参考にさせていただいたHP・ブログ(敬称略):マル鉄鉄道写真館2、ARC資料館、kami-kitamiのブログ、かめかめブログ、うなきちrail、80s国鉄時代の写真館、菅沼天虎の紙屑談義、中野文庫編成資料室、北鉄onX、空を読む、1980年4月国鉄の世界、ユーロシティのコンパートメントから、小田急と江ノ電の記録鉄のブログ、ひたち野高速鉄道新館、70s Railways、アートプロ、その他

2021年12月2日木曜日

1978年 水郡線(Nゲージ)気動車

 水郡線1970年代後半のイメージです。

近くから見ると前面がちょっと似ていない鉄コレ・キハユニ15ですが、遠目にはなかなか良い感じです。

勝田車両センターから、引退が近いホキ800を題材にした記念卓上カレンダー2022が販売されている様です。





2021年11月28日日曜日

キハユニ15 首都圏色 塗り分け線変更(Nゲージ)

 鉄コレのキハユニ15首都圏色は加古川気動車区の「6」で、前面オデコ上部まで朱色5号に塗られていますが、水郡線タイプの横一直線塗りに変更しました。

マスキングテープの密着度にだけ気を付ければ、あっという間に終わる作業です。銀河モデルの1灯式シールドビームを取り付けようと思ったのですが、ヘッドライトケースの直径が小さいので断念しました。

出来上がりです。

鉄コレのキハユニ15はマイナーな車種を良く再現していると思います。肝心の前面窓の位置がおそらく低すぎて、余り似ていないのですが、なるべく気にしない様にしています。