赤谷線の風景を再現しようと思って、久しぶりにネット上の素晴らしい記録の数々を拝見させていただきました。急行色と首都圏色の2両編成のディーゼルカーが、エンジン音とジョイント音を響かせながら通り過ぎてゆきます。
新発田と東赤谷の間を1日1往復していた貨物列車です。
東赤谷から鉄鉱石を積んでいたトキ25000です。
羽越線資料館に出ていた1968年(昭和43年)の数字を見ると東赤谷発貨物の主な到着駅は鉄鉱石が新潟港年間2万7千トン、浜川崎2万トン、焼島6千トン、酒田港5千トンですが、その他に足尾本山行き硫化鉱1千8百トンが目につきました。
朝の4両編成ディーゼルカーです。キハ55が1981年に新潟から撤退した後、2エンジン車はキハ58とキハ52が使われていました。新潟配置のキハ52×2両は赤谷線専用だったらしく、1984年3月末で赤谷線が廃止されると4月早々に岡山に転出しています(その後更に鹿児島に転属)。キハ35(500番台)が廃車または転出で新潟から姿を消したのは1985年でした。
キハ45は越後線電化直前の1984年4月にすべて新潟から転出しています。
沿線の学校行事関係、あるいは廃止近くなっての多客時増結でしょうか。
1976年の赤谷線はこちら。⇒1976年 赤谷線
参考にさせていただいたHP・ブログ(敬称略):緑の谷,赤い谷、Hello,this is Yos./線路端ニ居リマス、 田中正恭の汽車旅日記、鉄暮らし雑録、新潟日報ニヒガタ鉄道写真館、汽車・電車1971~、NABEX鉄道館、自転車の駅サガミ、懐かしい駅の風景~線路配線図とともに、懐かしの鉄道車両&風景-ひょん君撮影編、 新潟県新発田地域振興局、羽越線資料館、Wikipedia、きはゆに資料室、その他
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