1976年の赤谷線です。幌枠の色は仙台鉄道管理局のクリームに対して新潟鉄道管理局は赤でした。線区によっては混用されていたり、多層建て列車で併結があった為なのでしょう。
赤谷線のディーゼルカーは幌付き2エンジン車が上り勾配になる東赤谷寄りに連結されるのが基本でしたが、例外もあった様です。
普段は2両編成でしたが、下り始発列車と夕方の列車は4両編成でした。
朝、新発田を出た4両編成の下り1番列車は東赤谷で2両編成2本に分けられ、先発した1本は新発田で折り返して米倉まで戻り、そこで後発の東赤谷発新発田行きと再び連結され、4両編成で新発田に向かうという複数な運転を行っていました。途中交換駅がない中、通学用か何かで新発田発米倉行きを運転すべき需要があったのでしょうが、複数の運転士・車掌と解結・連結に関わる要員が必要でした。
貨物列車は1日1往復、主に東赤谷から出荷される鉄鉱石の出荷と空車返送が行われていましたが、1984年4月1日の廃止に先立って、同年1月20日に貨物取扱いは廃止されていました。途中の米倉駅からはホキ800を使った砕石の出荷が行われ、羽越線複線化工事等で使われていたそうですが、こちらは1975年3月1日に廃止になっていました。
写真で見る東赤谷駅構内の風景はとても魅力的で、模型レイアウトで再現出来たら楽しいと思いますが、畳1枚やそこらのスペースではとても収まらなそうです。
参考にさせていただいたHP・ブログ(敬称略):緑の谷,赤い谷、Hello,this is Yos./線路端ニ居リマス、 田中正恭の汽車旅日記、鉄暮らし雑録、新潟日報ニヒガタ鉄道写真館、汽車・電車1971~、NABEX鉄道館、自転車の駅サガミ、懐かしい駅の風景~線路配線図とともに、懐かしの鉄道車両&風景-ひょん君撮影編、 Wikipedia、その他
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