2024年4月26日金曜日

C12 46・C12 67(Nゲージ)

 2024年3月に再生産されたKATO C12を思い切って2両導入しました。42・46・51・67の4種類のナンバープレートが付属し、川崎車両の製造銘板が印刷済です。

42号機は1967年に稲沢第一機関区から中津川機関区に転入し、1972年5月に廃車されました。明知線の貨物列車再現に良さそうです。実物は日本車輌製なのと鉄製の増炭囲い板が設置されていた事がKATO製品と違うので不採用にしました。末期は前後トラ塗りにされていました。

C12 46号機

長く桐生機関区に配置され主に足尾線で活躍、1970年11月に廃車されました。川崎車両製で四角い製造銘板が付き、コールバンカーに増炭囲い板がない、ほぼKATO製品そのままの形態です。こちらの車番を採用しました。ナンバー取り付けのみ慎重に行います。

51号機は1940年代末期から1973年3月に廃車されるまで西舞鶴機関区に所属し、西舞鶴駅、東舞鶴駅の入換、小浜線の補機運用に就いていたそうです。川崎車輌製ですが、実物はサイドの水タンク給水口が角形の大きなものに改造され、側面のナンバープレートがかなり下方に付けられて製造銘板がなくなっていました。増炭囲いはなかった様です。こちらも不採用です。

C12 67号機

茅野駅前に静態保存されている実物を見た事があり、番号のバランスも良い感じなので、採用です。信濃大町、松本を経て1960年代後半から上諏訪機関区で入換用に使われ、1972年4月に中津川に転属して1973年4月に廃車、その後茅野市民会館に保存され、現在は茅野駅東口駅前に移されています。保存開始から50年経ちました。

67号機も末期はトラ塗りで、ネット上で1971年4月上諏訪、1971年12月中津川、1972年3月小淵沢での姿を見る事が出来ます。(ちなみにC56 160もトラ塗りでした。)1972年10月明知線での正面からの写真は、煙室扉とフロントデッキ端梁が黒一色に見えますが、後位側コールバンカーは1973年4月中津川区廃車時までトラ塗りのままだった様です。

模型は黒一色で仕上げる事にしましたが、日立製の67号機に川崎車輌の銘板が気になりますので消しました。レボリューションファクトリーのSL用”日立”製造銘板は入手困難な様ですので、すっきり無いままでも良いかと思っています。

#2000耐水ペーパーで水研ぎして消しましたが結構跡が残ってしまいました。サイドタンクパーツは簡単に外れたので、セラミックコンパウンドで磨いてからつや消しクリアを吹きました。

するとサイドタンクはきれいになったものの、他の部分とのツヤの違いがはっきり分かる様になってしまったので、結局、車体をばらして窓ガラスを外してから、全体をつや消しクリアで塗装しました。ヘッドライトは外し方が分からなかったので、マスキングしておきました。

シリンダーブロックはロッド類が修復不能になると困るので、怖くて止めておきました。写真で見るとキャブのツヤが微妙に違う気がしますが、なんとか目立たなくなりました。

46号機と並べるとこんな感じです。

67号機には増炭囲い板を付けました。廃車寸前の写真を見るとオリジナルのコールバンカーに木製の増炭枠が付いています、茅野の保存機は上部にカバーを取り付ける際にコールバンカー周りの形態が少し変わった様です。

増炭枠を塗装してから接着しましたが、取り付け時一部塗装が剥げたので筆でタッチアップしておきました。

期待通りの走りです。但し車体が軽いので重連運転時に片方が集電不良に陥るともう一方が脱線する事がありました。レールクリーニングをしっかりする必要があります。

参考にさせていただいたHP・ブログ(敬称略):Nゲージ蒸気機関車、ただいま鉄道写真スキャン中、デゴイチよく走る、自動車塗装の自分史とSL(蒸気機関車)写真展、鉄道写真帳「蒸機の匂った時代」、G鉄グラフィティ、レイルラボ Photo by norikad、昭和の鉄道員ブログ、C12の形態学、SAMUのNゲージ蒸気機関車ページ、世界の蒸気機関車Steam in the world、汽車・電車1971~、なつかしの鉄道写真館、Wikipediaその他


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