2022年10月13日木曜日

1980年 高山本線(Nゲージ)キユニ26首都圏色

 1975年から活躍を始めた高山本線のキユニ26は比較的早くキユニ28に置き換えられ、1979年には4両のうち3両が転出、残りの1両も1982年に転出しました。最初に転出した10は一般色で大分に行ってから首都圏色に塗り替えられたそうですが、11から13は美濃太田時代に首都圏色に塗り替えられた姿をネット上で見る事が出来ます。

短い活躍期間だったので、ネット上で見られる画像はそれほど多くありませんが、そんな中で”汽車・電車 1971~”HPには、1979年の美濃太田駅、1980年の白川口周辺の素晴らしい画像が沢山掲載されています。

美濃太田駅から10両編成で出発する下り普通列車の画像がありました。おそらく時間帯は昼前後だと思われますが、一部はどこかで折り返す回送編成だったのかも知れません。

ホキ2200というと幹線の貨物列車に数両まとめて連結されていた印象ですが、”津島軽便堂写真館”HPでは、DD51牽引の貨物列車にホキ2200が1両だけ連結されている画像がありました。

当時の高山本線の貨物輸送の様子は、”日本の鉄道貨物輸送と物流”HPと”懐かしい駅の風景~線路配線図”ブログがとても参考になります。1980年頃の高山周辺の貨物扱い駅は飛騨一ノ宮、高山、上枝、飛騨古川でしたが、1両だけのホキ2200はどこ行きだったのでしょうか。

気動車ファンでないと、キユニ26もキユニ28も区別はつかなそうです。


0 件のコメント:

コメントを投稿