2025年9月16日火曜日

1982年 久大本線・宮原線(Nゲージ)

 50系客車にオハニ36を逆向きに連結した姿は鉄道ピクトリアルの50系客車特集号に掲載された筑豊本線での写真が印象に残っていましたが、久大本線でも同様の列車が走っていたそうです。

機関車と50系客車の間にオハニ36が連結された際に50系客車の自動ドアが制御出来る様、オハニ36にはその為の空気ホースが増設されていたとの事です。


1979年に大分運転所に配置された50系客車はまず豊肥本線と日豊本線で使用され、久大本線には1980年に鳥栖客貨車区と大分運転区に追加増備された車両で同年11月から旧型客車を置き換えられました。

1980年に快速に格下げされた直方発鹿児島本線・日田彦山線経由・久大本線下り由布院行き快速日田は日田-由布院間で博多発別府行きの急行由布1号に併結されていましたが、併結区間は急行料金を払わなくても良かったのでしょうか。

由布院発の久大本線上り・日田彦山線・伊田線経由小倉行き快速はんだは時刻表を見る限り、由布院ー夜明間は単独運転だった様です。

久大本線唯一の支線、宮原線は途中の恵良から分岐しています。今まで恵良は豊後森よりも久留米側にあると思い込んでいましたが、1駅大分寄りにあった事を今回初めて知りました。
宮原線列車はすべて豊後森発着です。豊後森-肥後小国間の全線を走る3往復の他に、夕方の豊後森発宝泉寺行き区間列車が1本、その他に休日運休の豊後森-宝泉寺間の早朝1往復、土曜運転の豊後森-肥後小国間1往復がありました。朝には1回だけ宝泉寺での列車交換がある等、少ない本数ですが、趣味的に見ると複雑でとても楽しい運用です。

宮原線は最急勾配25パーミルで線形も悪く、時刻表を見ると豊後森-肥後小国間30.1kmに1時間以上かかっていました。末期には2エンジンのキハ53も使われていた様ですが、元々はキハ20やキハ40の1エンジン車が単行で走っていました。

時刻表を見ると夕方17:52豊後森発の宝泉寺行き区間列車は折り返し列車が無いので、到着後、豊後森まで回送されていた様です。(1970年頃は運転時間が少し早く、上り最終列車に連結されて豊後森に戻っていたそうです。)
豊後森19:03発の最終列車が20:08に肥後小国に着いた後、肥後小国発の始発列車は翌朝06:36の豊後森行きになりますが、肥後小国で夜間滞泊していたのか、豊後森まで回送されていたのか分かりませんでした。

豊後森駅っぽい写真を撮ってみました。いい感じです。

時刻表を見ると久留米-日田間が一番列車本数が多い他、途中の豊後森、由布院発着の列車も多く、全線141.5kmを直通する列車は気動車2往復と客車列車1往復だけでした。

最近、気に入っている踏切ビュー(?)です。電柱がかなり斜めになっていたので直しておきました。

参考にさせていただいたHP・ブログ・書籍(敬称略):転轍器、一睡の夢:国鉄末期の12年、昭和の記憶と復活蒸機、鉄道ピクトリアルNo.785【特集】50系客車、急行越前の鉄の話、地図と鉄道のブログ、風来梨のブログ、津島軽便堂写真館、Wikipedia、その他

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