2024年11月8日金曜日

1975年篠ノ井線(Nゲージ)松本-麻績区間列車 その他 

 最近、大糸線旧型国電の事を調べ始めるまでその存在を知らなかった、1970年代半ばに篠ノ井線・中央西線で走っていたスカ色と青22号の混色編成です。ネット記事で見かけてすぐに気に入ってしまいました。

このサイドビュー、単なる色合いとしてはどうかと思いますが、なかなか似合っていて良い感じです。

1975年3月から1978年8月までMcTc2両編成(最大3組6両編成)の運用があり、篠ノ井線松本-麻績間と松本-上松(中央西線)間の区間列車に使用されていたそうです。1976年4月に麻績駅は聖高原駅に改称されました。長野県の地域開発の為と思われますが。

出来の良いKATOのクモハ53008を思い切って改造した甲斐がありました。

1973年の中央西線全線電化後、篠ノ井線は80系電車が主力だった様です。長野から松本、そして中央東線側は甲府まで、西線側は中津川までの列車がありました。1978年まで80系電車で運転された急行天竜1号(下り1本のみ茅野・飯田行き(塩尻で分割))は有名でした。

全金・切妻クハ85300番台、お気に入りです。

客車列車は新宿発長野行き夜行列車425レが1975年3月改正で115系電車441Mに置き換えられましたが、手持ちで一番古い1978年8月号のポケット時刻表を見ると篠ノ井線には日中に客車列車が1本残っています。松本発長野行き2825レ(中津川-松本825レ)と2836レ(松本-中津川836レ)で、荷物・郵便輸送の為の列車でした。”古い列車編成”ブログには貴重な編成表が掲載されています。

短縮編成です。

ネットで調べてみると他に荷物専用の5043レと5044レが走っていた様です。熱田から名古屋、名古屋から長野と運転され、一部の車両は上沼垂や青森まで走っていました。その他、郵便・荷物車を連結した夜行急行も走っていたそうです。

マニ50はこの後、1977年登場でした。

現代の篠ノ井線貨物列車はタンカー列車とコンテナ列車だけですが、なめくじ会の鉄道写真HPで1970年にまだ篠ノ井線でD51が活躍していた頃の素晴らしい写真を拝見する事が出来ます。電化後も1975年頃にはEF64が雑多な貨車を牽いて走っていました。わたしのあしあとブログで拝見出来る、姨捨駅でのバック運転の為にEF64の運転席から身を乗り出した機関士の写真が印象的でした。
EF64は1973年開設の篠ノ井機関区所属でした。

1975年3月で特急しなのは完全に電車化されました。

381系電車ですがJRマーク入りくろしお編成です...。

急行天竜は長野から飯田線方面に行く列車と中央東線方面に行く列車が辰野で分割併合される他、中津川からきた急行きそと連結して長野に向かう列車がありました。松本運転所の車両はクハを連ねた4両編成、神領電車区持ちは両側クハかサハを連結した4両編成だったそうです。

4両編成2本併結の雰囲気です。

キハ58は循環急行ののべやま(時計回り)とすわ(反時計回り)が1975年3月に廃止されたものの、大糸線直通の急行ついがけ併結のきそや名古屋-新潟間の赤倉が1982年まで篠ノ井線を走っていました。

何の編成をイメージしたのか、とりあえず撮っておいた感じです...。

東京から長野に向かうには信越本線があったので、中央東線からの優等列車乗り入れは大糸線が中心でしたが、甲府以西から篠ノ井線を経て長野へ向かう普通列車は結構走っていました。中央西線の優等列車は大糸線方面にも一部あったものの、主力は特急しなので篠ノ井線経由の長野行きでした。こうして振り返ってみると篠ノ井線は多彩な列車が走る幹線でした。

クモニ83は三鷹区のスカ色と神領区の湘南色の両方が使われていた様です。

スカ色とスカイブルーの2両編成の旧型国電を再現してみるところから、ネットの貴重な記事をいろいろと拝見させていただき、昔の篠ノ井線の素晴らしさを改めて知りました。

参考にさせていただいたHP・ブログその他(敬称略):我が心の飯田線、高尾山麓日誌、省型旧形国電の残影を求めて、千葉の鉄道そしてNow&Then、古い列車編成、みすず刈る信濃の撮ってお記、鉄道ピクトリアルNo.743 80系湘南電車、みけねこのホームページ、昭和の鉄道員ブログ、一睡の夢:国鉄末期の12年、Rail・Artブログ、時刻表置き場、わたしのあしあと、6・25鉄道趣味工房、なめくじ会の鉄道写真、その他

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