この編成はキハ40単行が出来る様に、T車とのリード線接続は止めました。かつて会津川口までの単行運用があった様です。
キハ40 560
この車両は1980年に郡山に新製配置されました。90年代に入って小牛田、八戸を経て新津に転属し、最後までクロスシート・新潟色青のままでした。引退後はミャンマーに行きました。
キハ48 1533
只見線を走った首都圏色トイレ無しキハ48は1988年に小牛田から来て3年弱で再び小牛田に戻った1511・1512の2両でしたが、側面雨樋取り付け加工が面倒なので、1990年代後半に会津若松にいた1533のナンバーを付けてあります。ちなみに1533は小牛田を経て最後は新津区で新潟色青になり、只見線小出口でも活躍しました。
キハ58 495
長く新潟で活躍した後、84年から1年間だけ盛岡配置、その後、85年から91年まで郡山に所属。新庄に半年だけ行ってから小海線に移り、最後はK1型K01としてサハリンの地を走ったそうです。
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