水戸区には1957年から58年にかけて配置された3両のキハユニ15、8・10・13がいました。
1979年7月から11月にかけてキユニ28が4両水戸に配置され、キハユニ26は同年8月末で郡山に転属しましたが、キハユニ15の13だけはキユニ28が4両揃う1979年12月まで生き延びた様です。
キハ26は100・200番台3両のうち2両が1982年まで活躍しました。400番台は3両居ましたが、うち1両は1978年末に一ノ関に転出し、残りの2両は1980年に廃車になります。いずれも水戸区では急行色のままで、朱色5号に塗り替えられる事はありませんでした。
キハ11は4両在籍、1978年に1両廃車になり、残りも1979年末までにキハ40に置き換えられて廃車になりました。首都圏の一般型気動車は1976年から朱色5号に塗装変更されましたが、1978年に一般色が残っていたかどうか分かりません。
キハ20は1980年に八王子から200番台が転入してくるまでは、バス窓0番台のみ6両の在籍でした。0番台の一部は1982年まで活躍します。キハ25 300番台は14両全車が水戸に配置され、一部は真岡に転じて1987年の第三セクター化直前まで活躍しました。
キハ35は1970年以前から5両配置されていました。キハ30の配置はありません。ちなみに1980年〜82年にキハ36が4両転入して来ましたが、1984年までに廃車または転出になっています。
キハ45は千葉から来た4両が長く活躍していましたが、80年代半ばには伊勢や新潟から多数が転入して来ました。
急行形気動車が普通列車に組み込まれる事もあった様です。
参考にさせていただいたHP・ブログ(敬称略):The Repository of My Rail Hobbies、国鉄型気動車忘備録、すてきちon X、きはゆに資料室、その他
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