急行奥久慈は上野−水戸間では急行ときわに併結され、水郡線内は1・4号が郡山まで、2・3号は磐城石川までの運転でした。常陸大子以遠は各駅停車です。
常磐線では12両編成、水郡線内は4両編成ですが、2・3号の水戸-上菅谷間は常陸太田発着の1両を連結した5両編成でした。上菅谷ー常陸太田間の1両は他の普通列車に連結されて運行されていたそうです。
水郡線の普通列車用気動車はすべて1エンジン車だったので、さほどの急勾配はなかったのだと思いますが、奥久慈4両編成のうち2エンジン車キハ58は1両だけという事もあった様です。常磐線内は列車によって奥久慈編成が上野寄りだったり水戸寄りだったりしたそうです。
多客時には、ときわ編成のうちグリーン車を含めた3両が、おそらく指定席発券の関係だと思いますが、ときわの延長運転として常陸大子まで連結され、7両編成で走っていたそうです。
急行ときわ・奥久慈についてはネット上で編成や運用に関する貴重な記録を沢山拝見する事が出来ます。1978年の編成記録にはバス窓のキハ55 19が組み込まれていました。(ちなみにキハ55 19実車は常磐無線アンテナ付きです。)
その後、ときわ・奥久慈は1982年に11両編成、1984年には10両編成に減車され、1985年に廃止になりました。
参考にさせていただいたHP・ブログ(敬称略):マル鉄鉄道写真館2、ARC資料館、kami-kitamiのブログ、かめかめブログ、うなきちrail、80s国鉄時代の写真館、菅沼天虎の紙屑談義、中野文庫編成資料室、北鉄onX、空を読む、1980年4月国鉄の世界、ユーロシティのコンパートメントから、小田急と江ノ電の記録鉄のブログ、ひたち野高速鉄道新館、70s Railways、アートプロ、その他
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