2022年7月29日金曜日

1985年 木次線(Nゲージ)キハ53・キハ52・キハ40

 キハ53を整備しました。こちらの首都圏色は一般色からの塗り替えですが、のちに首都圏色の製品も発売されました。

キハ53 2

シートパーツを青15号、床下のモーターカバーをグレーとつや消し黒で塗分け塗装しました。

オリジナルの0番台と100番台は合わせて11両しか作られなかった少数派です。                                                        1・2 七尾から米子を経て津山で廃車                                  3   七尾から伊勢に転じたのち、富山、小浜へ。                                4・5 亀山・伊勢で活躍したのち、富山、小浜へ。                           6・7 新製直後に千葉で夏期輸送に使われたのち、長く米子。7は最後津山に。      8・9 大分で廃車まで                                           101・102 鹿児島で廃車まで

こちらは一般色のままです。ちなみに米子の6は崖下への列車転落事故で廃車になっています。

キハ53 7

キハ52と共にキハ120へ置き換えられるまで活躍しました。

急行ちどりです。一時期は人気列車で夜行も運転されましたが、1990年には木次線内の運転が中止され、広島-備後落合間の列車になりました。

こちらは首都圏色のキハ52とキハ40 2000番台です。

キハ52は138(登場後まもなく簡易郵便荷物合造車に改造され651)、139、140が長く活躍した後、キハ53事故廃車の補充で128が東北から転属して来ました。

キハ52 154

キハ40は出力不足で出雲横田以北でキハ52・53の増結用に使われていました。

キハ52 109


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