整備したキハ17 22とキハ11 3を登場させて、久しぶりに1980年二俣線の旅です。まずはちょっとだけ天竜川橋梁の雰囲気です。
1970年代、二俣線にはキハ10・11・17が多数配置され、キハ20と共に活躍していました。
検査周期の関係からか、最後に廃車になったのはキハ17初期型一般色の22と首都圏色の62で、同年8月1日付でした。
1982年11月1日付で貨物扱いが廃止になる前の遠江二俣駅には、舞鶴港からの原木輸送がありました。元々は天竜川に筏を組んで上流から運ばれた材木を製材する工場が周辺に多かったそうです。
金指駅から専用線の伸びていた磐城セメント、のちの住友セメント浜松工場は佐久間ダムやその周辺へのセメント供給拠点として大量のセメントを生産していたそうで、金指から飯田線中部天竜等に二俣線・飯田線経由で輸送されたものも多かった様です。
金指にはJA静岡経済連のサイロがあり、名古屋臨海鉄道や京葉臨海鉄道から飼料がホキ2200で運ばれていた様です。また遠江二俣には機関区の気動車燃料か製材工場の燃料か分かりませんが、タンク車が沢山留置されていました。
1982年で遠江二俣駅の貨物取扱いが廃止になった後も、金指駅の貨物扱いが廃止されるまで遠江二俣-金指間はDE10重連単機回送されていたそうです。1984年に住友セメント浜松工場は閉鎖、専用線は廃止され、金指駅貨物営業は1985年3月14日に終了しました。
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