DD54の活躍もあと僅かに迫った1977年です。この頃の貨物取扱駅は香呂・寺前・新井の3駅に減っており、貨物列車は上下1本ずつ別々の列車が途中生野駅で交換していたそうです。
画像検索をしてみると、寺前の砕石ホキ800、新井の鉱石積み出しのトキやトラの他、ワム80000やワム60000、ワラ1といった有蓋車の中に高い頻度でワム90000が1両連結されていました。形式の指定とかあったのでしょうか。和田山で福知山方面に方向転換する為か編成両端に車掌車、ワフやヨが連結されていました。
客車列車は上りは午前中に4本、下りは朝1本、夕方3本の運転だったそうです。
DD54はこれまであまり興味がありませんでしたが、その独特な形態からとても人気が高かった様です。
急行但馬の大阪直通編成には1989年3月改正で大阪乗り入れがなくなるまで、グリーン車が連結されていました。
キハ17は1978年に廃車になりました。
ここしばらくかなりいろいろ調べたので、播但線について、いろいろ知る事が出来ました。
ここらでちょっと休憩、といった感じです。
参考にさせていただいたHP・ブログ(敬称略):「おっちゃん」鉄道のページ、鉄道写真家岩堀春夫のblog、akaの鉄道最新撮影&秘蔵記録、ふっしゃん鉄道写真の館、海遊び山遊び、懐かしい駅の風景~線路配線図とともに、今日もまっ晴れ!鉄道回顧録、その他
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