1980年代まで米坂線では山形機関区のディーゼルカーが活躍していました。
山形機関区には新製配置されたキハ22がのべ20両近くあって、一部はJR化後まで活躍しました。模型はありませんが、山形配置のキハ55は末期は首都圏色に塗り替えられて活躍していた様です。
スクラップブックにDE10がカバー付きの2軸無蓋車を連ねている写真があります。(模型はカバー無しです。)1985年に貨物列車が廃止されるまで、小国駅にある日本重化学工業専用線への貨車が多かった様です。
こちらは「米坂線 キハ22」で検索すると出てくる、”鉄暮らし雑録”ブログ様の越後金丸付近での貴重な写真を真似してみました。
山形のキハ22はその後、弘前や秋田に転属した車両も多かった様ですが、一部が1991年頃まで在籍しました。1991年には奥羽本線の改軌工事が始まり、米坂線の気動車受け持ちは山形から新潟に変わりました。
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