手持ちの時刻表1991年8月号を見ながら深川発下り1番列車を辿ってみます。
05:10発921D下り名寄行きは3両編成で出発しました。1991年3月に大幅なダイヤ変更が行われ、朱鞠内の夜間滞泊がなくなりました。下り1番列車は途中多くの駅を通過する様になり、43.7km先の幌加内まで1時間もかからずに到着します。ほぼ回送列車に近かったのかも知れません。
幌加内でこの列車から切り離された1両は、約30分後の06:43に960D上り深川行き1番列車になりました(深川着07:43着)。
幌加内06:10発下り列車は2両編成になり、朱鞠内までの35.1kmを40分で走ります。
そして朱鞠内に06:50に到着するとまた1両切り離しました。
残った1両は朱鞠内で列車番号を921Dから941Dに変えると06:55に出発し、43kmを56分で走って名寄着は07:51です。
朱鞠内で切り離された1両は朱鞠内07:53発の上り2番列車として深川に向かいました(深川着09:36着)。
名寄へ07:51に着いた下り941Dは08:10発の朱鞠内行きとなり、区間列車として1往復します。
あとはおおよそ時刻表から見当が付く運用ですが、朱鞠内最終到着の下り927D(18:39着)と上り946D(19:58着)の2本についてはその後に朱鞠内を出発する列車がありません。夜間滞泊は廃止になったのでどうなったのだろうと調べてみたら、2両は朱鞠内で連結した後に幌加内まで回送され、そこで深川からの下り最終961D幌加内止まりの車両に連結されて再び3両編成になり、上り964Dとして深川に戻っていった様です。
前年(1990年)までは朱鞠内に2列車の夜間滞泊があり、それぞれ名寄・深川方面への1番列車になるダイヤでしたが、1991年3月改正で列車も乗務員もすべて深川から出発する運用に変更されました。深川出発時は3両編成だった時期と4両編成だった時期があり、1両目の名寄行き車両のみ客扱いをしていました。
夜に深川まで戻った列車は旭川まで回送され、翌日の使用車両は早朝に旭川から深川へ回送されていたそうです。
参考にさせていただいたHP・ブログ・その他(敬称略):カナロコ神奈川新聞HP、Rail Artブログ、Wikipedia、Website 61℃、トリッパーズワールド、北福岡気動車館、交通案内社日本時刻表1991年8月号、Kami-kitamiのブログ、幌萌鐵道管理局・消え去りしものたち、ハンドル屋の娯楽室、RAILRAILRAIL毎日鉄道写真とともに、ただいま鉄道写真スキャン中、その他
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