2025年10月2日木曜日

1979年 姫新線(Nゲージ)その2(完)

 1979年当時、急行列車は大阪発姫新線・因美線経由“みささ“が鳥取行き・倉吉行きの2往復、大阪発姫新線経由“みまさか“が中国勝山行き・月田行き・新見行きの3往復、そして広島から芸備線、新見経由津山行きの“やまのゆ“が1往復走っていました。姫新線内は“みささ“と“みまさか“の併結で最大11両編成で走っていた様です。下り1本だけ月田行き”みまさか3号“がありますが、月田到着後は折り返し鳥取行き普通列車になっていた様です。


備後落合まで”急行ちどり”に併結されていた広島-津山間の”急行やまのゆ”は1976年頃まではキハ55+キハ26 400という魅力的な編成でした。昔の鉄道ジャーナルで急行ちどりの記事に登場しています。

その後、1977年に”やまのゆ”はキハ58+キハ28の2両編成になり、1980年に廃止されました。ところで”やまのゆ”は何から命名されたのでしょうか。確かな事は分かりませんが、岡山県北部には美作三湯という有名な温泉があるそうなので、それが由来かも知れません。

岡山-中国勝山間にはグリーン車連結の快速が1往復走っていました。急行“砂丘“と共通運用だったのかなぁ、と思います。

岡山区の気動車が多く運用されており、全線を直通する普通列車4往復運転には、同区のキハユニ15やキユニ18、キユニ26が使われていた様です。

区間運転が多く、こんな短い2両編成も走っていました。

50系客車が播但線・姫新線に早々に配置されたのは旧型客車のデッキから飛び降りたりする不良高校生対策だったと言う記事がありました。

1979年頃は姫新線ではまだ旧型客車と50系客車が併用されていた様です。

改めて見ると、かなり複雑な45年前の姫新線でした。

参考にさせていただいたHP・ブログ(敬称略):ひめたか鉄道2018、「はなぶさ」に集まる仲間たち、裏辺研究所、岩堀春夫のblog2、わが国鉄時代2、国鉄・私鉄の思い出、Wikipedia、その他

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