手元の時刻表1979年10月号を見ながら当時の因美線の様子を振り返ってみました。
1979年春にはキハ40とキハ47が西鳥取に新製配置され、活躍を開始しています。
そんな中で貨物列車に荷物車が連結された20世紀梨輸送臨時列車の貴重な写真を”くるーりワンマン写真館”で拝見する事が出来ました。今回一番の大発見でした。少なくとも1983年までは山陰本線沿線からの荷物車と合わせて大阪や汐留に送られていたそうです。
急行列車は大阪からの”みささ”、岡山からの”砂丘”が因美線内は単独あるいは併結運転されていました。
それぞれにグリーン車を連結した併結列車が山間部を最大10両編成で走っていたそうです。陰陽連絡路線として重要だった当時は津山線直通の岡山-鳥取間普通列車が5.5往復走っていました。
郡家から分かれる若桜線の列車はすべて鳥取から直通していました。朝の1本は急行気動車列車の間合い使用でグリーン車付きです(時刻表にグリーン車マークが付いているので、グリーン料金を払って乗るお客さんもいたのでしょうか。)客車列車はかろうじて日中と夕方の2往復が残っていましたが、1982年6月末で引退しました。
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