人吉区配置のキハユニ15 2が活躍していた肥薩線です。特急・急行・普通列車の他に混合列車や貨物列車とバラエティーに富んだ列車が走る路線でした。
肥薩線と言えば矢岳越えの勾配路線として有名ですが、昔の写真を見るとキハ16・17、キハ20といった非力な1エンジン車だけの編成を良く見かけます。
調べてみると、当時の肥薩線普通列車は八代-人吉間、人吉ー吉松間、吉松-隼人間で運転系統が分けられていました。八代ー人吉間は勾配が緩く、1エンジン車のみで大丈夫だった様です。人吉から湯前線に直通する列車も多く走っていました。
この区間は気動車列車が中心ですが、日中に1往復だけ客車列車が走っていたのは、人吉-吉松間に使用する客車の車両交換用だったのではないかと思います。
キハユニ15 2は、1952年に登場した電気式気動車キハ44000(キハ09)試作車を1958年に液体式の郵便荷物合造車に改造した車両ですが、1975年に廃車になっています。
人吉区の郵便荷物合造車はもう1両、キハユニ26が配置されていましたが、こちらは1984年まで活躍しました。
人吉-吉松間の矢岳越え勾配区間にはDD51牽引の客車列車と混合列車が運転されていました。客車列車は1980年10月にDC化されて姿を消しています。
ちょっと編成が短いし、グリーン車の帯もありませんが、急行えびのです。
元々は熊本-西鹿児島間を肥薩線経由で走っていた急行列車ですが、1975年3月から急行えびのは熊本-宮崎間の列車になり、西鹿児島に向かう列車は急行やたけに改称されました。その後、やたけは1978年に快速に格下げされています。この辺りARC史料館様のHPに詳しく解説されていますが、なかなか複雑です。
1974年に登場した特急おおよどは肥薩線・吉都線経由で博多-宮崎間を1往復していましたが、1980年に廃止となりました。
そして吉松-隼人間です。気動車列車の他に西鹿児島直通の客車列車が2往復運行されていました。
0 件のコメント:
コメントを投稿