2024年2月2日金曜日

1980年 城端線(Nゲージ)客車列車・ディーゼルカー

 1979年10月号の時刻表を見ると城端線には16往復の列車が走っており、うち5往復が客車列車でした。

客車列車は氷見線と共通運用の6両編成です。荷扱いの都合でしょうか、編成の城端方から2両目(氷見線内は高岡から2両目)にオハユニ61が連結されていました。牽引するDE10はボンネットの長い1位側が城端向き(氷見線内は高岡向き)です。

金トヤの茶色い客車やナハ10はその後、1982年に急行越前・能登の廃止で転属してきた近代化改装車で置き換えられたそうです。

Wikipediaでは二塚駅の荷物扱い廃止が1984年2月1日、福野駅、福光駅、城端駅の荷物扱い廃止は1985年3月14日となっていましたが、1984年頃にはオハユニの連結はなくなって普通車6両編成でした。

ディーゼルカーはキハ23・45、キハ30・35が活躍していました。

ドアの数も前面の形態も異なっていますが、車体断面が同じで、客室窓がいずれも2段サッシ窓なので、見た目は意外に揃って見えます。

1980年頃には塗り替えが進んで殆どが首都圏色になっていた様ですが、助手席上部にタイフォンを付けた一般色キハ30があったので出して来ました。背後にそれらしくEF81や455系電車を並べておきましたが、あまりそれっぽくないかも...。

実際にいつから走っていなかったのか分かりませんが、1980年9月25日付で砺波駅、福野駅、福光駅の車扱貨物が廃止になりました。画像検索して1976年の福野駅構内の貴重なスイッチャーの写真を見る事が出来ましたが、貨物列車の画像は見つかりませんでした。ひょっとして高岡で入換をしていたDD13が城端線の貨物列車も牽いていたかも、という思い付きだけの写真です。

1980年5月のこんな気動車6両編成の画像がありました。キハユニ26が城端寄りから2両目に連結されています。

やはりこの位置に郵便荷物車が連結される理由があった様です。

参考にさせていただいたHP・ブログ(敬称略):趣味の鉄道、1980年代国鉄撮影日記、80分の1丁目16番地、セミセンターキャブの部屋、Rail・Artブログ、ローカル線のアルバム、客車倶楽部過去ログ集客車列車の旅、心に残る鉄道情景、ヤスのひとりごと、事業臨の世界・撮影行今昔、ただいま鉄道写真スキャン中、鉄道写真家岩堀春夫のブログ2、ERWのブログ、Wikipedia、その他

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