2023年12月13日水曜日

1976年湧網線(Nゲージ)

 湧網線の9600が引退したのは1975年5月。当時の貴重な写真には9600が牽く貨物列車にワムフ100が連結された姿を見る事が出来ます。北海道では貨物列車に旅客の便乗が認められる場合があり、正式に便乗証が発行されていたそうです。湧網線ではストーブ付きで車掌室が広いワムフが便乗用に使われていたのでしょうか。

9600引退後の涌網線貨物列車はDE10牽引で、おそらくワムフ100もしばらくはそのまま引き続き使用されていたと思いますが、ネット上でその姿を見る事は出来ませんでした。

国鉄蒸気機関車として最後まで残った名機9600は当時かなりの人気だったと思いますが、同様に長く活躍して後に名機となるDE10ディーゼル機関車は、当時はSLの敵であまり人気が無かったのかなぁ、と思います。

手元にあるボロボロの1978年8月号の交通案内社発行のポケット全国時刻表1976年10月1日改正を開いてみて、湧別が湧網線の起点だった事を知りました。(湧別ー中湧別は2往復しか走っていなかった事は知っていたのですが。)中湧別-網走間の旅客列車は6往復です。

網走発1番列車は5:48発、次の8:15発の後は14:10まで6時間近く列車がありません。そもそも本数が少なくて相当不便な割には、運用の都合か名寄本線の遠軽行き直通列車や石北本線の北見行き直通列車があったりします。

湧網線の貨物列車は元々1往復しかなく、編成も短い事が多かった様です。1982年3月には最後に残った常呂駅と佐呂間駅の貨物営業が廃止されました。

貨物営業廃止前の合意で同年の9月・10月に限って臨時の貨物列車が運転されたそうです。農作物輸送でしょうか。

参考にさせていただいたHP・ブログ(敬称略):少し昔の(+最近の)北海道の鉄道、D51338のほぼ蒸気blog!、転轍器、ジュンパパのきままにNゲージ、思い出鉄道探偵団、故き良き感動を求めて、汽車鉄道プラスバス、会津の自然と汽車&北信の田舎暮らし、ノーブルジョーカーのホームページ、Yahoo知恵袋、てんぽく(2k)onX、トコトコ電車、三河高原鉄道、昭和の鉄道写真&平成からの再出撃、幌加内の気まぐれブログ、いっこーonX、汽車・電車1971~、北見市立図書館-常呂町の湧網線に関する年表、昭和を中心としたミニ鉄道資料室、その他

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