2023年12月10日日曜日

ワムフ143(Nゲージ)

マイクロエース製ワムフ100を急行帯無し仕様にしました。

古いトミックスや河合商会の製品は常にヤクオクに複数出品されており、2回ほど入札しましたが「最高値で入札中」状態で油断していたら2度共落札し損ねています。そんな中である時、マイクロエースのセットバラしオレンジ帯急行便のワムフ単品が出品されているのに気付きました。

形態もリベット表現も古いトミックス・河合商会製品よりずっと出来が良さそうですが、価格も数倍します。オレンジの帯と急行便の文字が車体に入っているし、ちょっと高いかなぁと思っていたら入札ゼロのまま終了しました。しかし、すぐに同じ商品が同価格で出品されています。考えてみればトミックスや河合商会はいくらでも市場在庫がありそうですが、マイクロエースがワムフ単品で出品される事はなかなかないだろうと思って落札しました。

オレンジ帯と急行便の文字はシンナーを付けた綿棒で擦った位ではまったく消えませんので、上からつや消し黒を吹き付けました。車番等をマスキングし、一旦文字部分にサフェーサーを吹いてから黒を塗ったのですが、これは失敗でした。マスキング断面にサフェーサーの層が残ってしまいました。最初から黒を吹き付けるべきでした。サフェーサー跡は修正しておきました。ネット記事で、1980年代前半まで残っていた米原機関区のワムフ100の車体にはうっすら急行便の文字が残っていたという記述がありました。

どれだけ前の商品か分かりませんが、集電板が相当錆びています。接点の部分を#5000の耐水ペーパーとセラミックコンパウンドで磨いておきましたが、ライトはそれなりにチラつきます。

トイレは裏から窓ガラスを白く塗り、床下には流し管を付けておきました。デッキのステップに白を差してあります。ナンバーは結局、元の製品のままで改番しませんでした。北海道のローカル線で9600に牽かれている魅力的な姿をネット上で見ましたが、帯広に広尾線用126・127が、網走に湧網線用156・157が配置されていたそうです。

ワムフ100はワムフ1からの改造車を含めて108両登場しましたが、1970年代には廃車が進んで1977年3月末には54両まで数を減らしていました。1982年3月末時点で北陸本線用に米原に残っていた最後の3両(102、103、203)が1985年に廃車になったのは、ワムフ(貨車)ファンには有名な話だった様です。

ところでTR24台車、なかなか魅力的な形態で、貨車用にしては乗り心地も良かったそうです。

その他にも画像検索すると、1972年8月車番不明(日豊本線 宮崎-南宮崎)、1975年5月157(中湧別)、1975年7月104(田端)、1975年11月140(長岡)、1977年3月105(南延岡)、1979年2月206(徳山)広ハタ、1981年203(場所不明)、1983年7月102(敦賀)名マイ、1985年102・103・203(米原機関区)等の貴重な姿を見る事が出来ました。1983年に千種駅で車番を消されて留置されていたワムフの記事もありました。

床板を外そうとした時、中央に付いていた部品(おそらくブレーキシリンダー)がどこかに飛んで行ってしまい、そのまま発見する事が出来ませんでした...。鉄コレ廃車体からそれらしい部品を付けておきました(ちょっと斜めです)。

そのうち紛失した部品が見つかると良いと思っていたら、飛んだと思った方向と違う座布団の脇に引っかかっていた様です。発見して復旧しました。



荷室側の妻面には外吊り式の貫通扉がついており、それをよける為に実物の向かって右側のテールライトは一段引っ込んだ位置に付いていました。模型はエラーで、このままでは外吊り扉が半分しか開きませんがそのままにしてあります。

製造銘板や日本国有鉄道プレートはテールライト脇ではなく、車掌室入口右側に取り付けられていました。

古い屯の字が使われていた自重と荷重はひとまず消してあります。車掌室内パーツはクリーム色で目立つので、マホガニーを筆塗りしておきました。

この1週間位、ネットでずっとワムフ100の事を調べていました。

参考にさせていただいたHP&ブログ(敬称略): akaの鉄道最新撮影&秘蔵記録、トコトコ電車、三河高原鉄道、Nde旧型国電、汽車道楽の部屋、まっちの昔の鉄道写真、もはねの小部屋、蒸機時代の北海道onX、モデルスイモン、転轍器、藤原模型店店主の写真コーナー、もはねの小部屋、鉄道写真と資料の本棚、波浪規定の部屋、その他


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