2023年6月11日日曜日

国鉄 キハ10(Nゲージ)その4 整備完了

 キハ10の整備が完了しました。13両のキハ10が配置されていた相模線仕様にしました。

キハ10 13                                              12と共に五日市線で活躍していた車両です。1961年の五日市線電化で相模線に転入し、1978年11月の廃車まで活躍しました。ちなみに12はもう少し長く活躍し、1980年3月廃車でした。

当時、大宮工場で検査を受けていたディーゼルカーは床下が黒塗装でした。(キハ10 61首都圏色塗り替え当時の記事画像を見ると消火器箱だけグレーに塗られていました。)1976年に初めて相模線に行った際、橋本駅から乗ったのは13と49の一般色2両編成でした。

キハ10 23                                             
相模線に新製配置された23から26までの4両のうちの1両です。1979年7月に廃車になりました。

屋根上に扇風機カバーを付けました。相模線ではこの23と50が扇風機付だった事が鉄道ピクトリアル誌上で確認出来ますが、それ以外の車両は不明です。

今回はレボリューションファクトリーのインレタを使って、フル標記仕様にしてあります。

キハ10 25
こちらも相模線生え抜きの1両です。25は首都圏色になった後もヘッドライトは白熱灯のままでした。やや早めに1978年12月に廃車になりました。

床下ウェザリングは以前に行っていたものですが、なかなか良い感じです。

キハ10 49                                          冒頭の13のところで触れた通り、相模線を訪れた際に初めて見た本物のキハ10です。トミックスのキハ10は屋根長さがちょっと長いので、少し削ろうと思いましたが、カチっと仕上げるのは難しそうなので、早々に諦めました。

キハ10 41以降は出入台の通風器が両面押込式に変更になりました。KATOの80系電車用ASSYパーツを使用しています。

41以降はいずれも相模線新製配置ではありませんが、42と47~50、61・62の7両が配置されていました。49が廃車になったのは1980年3月です。

キハ10 62                                    1975年に初めて首都圏色に塗装された61と共に木更津から来た車両です。1980年1月に廃車になりました。貫通渡り板に車番を入れてみましたが、相模線のディーゼルカーは渡り板を下げたままにしている事が多かったので、あまりピンと来ない感じです。今回はインレタを慎重に切り抜いて、失敗は少なかったのですが、ATS標記が足りなくなりました。

2回目訪問以降、キハ10はすべて首都圏色になっていましたが、キハ10置き換えの為に関西から来たキハ36が天ナラ表記で一般色のままだったのを見た事があります。

2灯式シールドビーム枠は銀河モデルのホワイトメタルパーツに交換してみました。(左側:銀河パーツ、右:オリジナルパーツ)

キハ16 24
キハ16は5・6・24・78の4両が相模線にいました。

最後に残った24は1978年10月廃車でした。それ以外は1976年以前に廃車になっています。

後部の妻板にはキハ10用の検査表記を入れておきましたが、ちょっと位置が低すぎたかもしれません。

参考にさせていただいたHP(敬称略):きはゆに資料室                              



                                            


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