キハ10の整備が完了しました。13両のキハ10が配置されていた相模線仕様にしました。
キハ10 13 12と共に五日市線で活躍していた車両です。1961年の五日市線電化で相模線に転入し、1978年11月の廃車まで活躍しました。ちなみに12はもう少し長く活躍し、1980年3月廃車でした。
当時、大宮工場で検査を受けていたディーゼルカーは床下が黒塗装でした。(キハ10 61首都圏色塗り替え当時の記事画像を見ると消火器箱だけグレーに塗られていました。)1976年に初めて相模線に行った際、橋本駅から乗ったのは13と49の一般色2両編成でした。
キハ10 23
相模線に新製配置された23から26までの4両のうちの1両です。1979年7月に廃車になりました。
こちらも相模線生え抜きの1両です。25は首都圏色になった後もヘッドライトは白熱灯のままでした。やや早めに1978年12月に廃車になりました。
床下ウェザリングは以前に行っていたものですが、なかなか良い感じです。
キハ10 49 冒頭の13のところで触れた通り、相模線を訪れた際に初めて見た本物のキハ10です。トミックスのキハ10は屋根長さがちょっと長いので、少し削ろうと思いましたが、カチっと仕上げるのは難しそうなので、早々に諦めました。
キハ10 49 冒頭の13のところで触れた通り、相模線を訪れた際に初めて見た本物のキハ10です。トミックスのキハ10は屋根長さがちょっと長いので、少し削ろうと思いましたが、カチっと仕上げるのは難しそうなので、早々に諦めました。
キハ10 41以降は出入台の通風器が両面押込式に変更になりました。KATOの80系電車用ASSYパーツを使用しています。
キハ10 62 1975年に初めて首都圏色に塗装された61と共に木更津から来た車両です。1980年1月に廃車になりました。貫通渡り板に車番を入れてみましたが、相模線のディーゼルカーは渡り板を下げたままにしている事が多かったので、あまりピンと来ない感じです。今回はインレタを慎重に切り抜いて、失敗は少なかったのですが、ATS標記が足りなくなりました。
キハ16 24
2回目訪問以降、キハ10はすべて首都圏色になっていましたが、キハ10置き換えの為に関西から来たキハ36が天ナラ表記で一般色のままだったのを見た事があります。
2灯式シールドビーム枠は銀河モデルのホワイトメタルパーツに交換してみました。(左側:銀河パーツ、右:オリジナルパーツ)
キハ16 24
キハ16は5・6・24・78の4両が相模線にいました。
最後に残った24は1978年10月廃車でした。それ以外は1976年以前に廃車になっています。
後部の妻板にはキハ10用の検査表記を入れておきましたが、ちょっと位置が低すぎたかもしれません。
参考にさせていただいたHP(敬称略):きはゆに資料室
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