もう40年以上前の七尾線です。
急行能登路は上下7本ずつで、多くは穴水で輪島方面と能登線に分割されていましたが、急行運転区間は列車によって金沢-七尾・穴水・輪島・宇出津(上り1本のみ)・珠洲・蛸島(下り1本のみ)とまちまちです。その中でも下り7号は穴水に15:59に到着すると16:03急行珠洲行き、16:05急行輪島行き、16:23普通蛸島行きと2方向に3分割されて走っていました。
ヘッドマークは愛称別トレインマーク事典様のものを家庭用プリンターで印刷して貼り付けてみました。かなりデカめでしたが、なかなか良い感じです。今後、もう少し小さく印刷してみようと思います。
当時、七尾区にはキユニ26が2両とキハユニ26が1両配置されており、写真の様にキユニとキハユニを連結した運用もあった様です。荷物の多い七尾まではキユニを連結していたという事でしょうか。
それまで使用されていたキユニ17を置き換え、76年に登場したキユニ26ですが、15は85年12月、16は86年3月に廃車になりました。2両とも元400番台です(模型は元300番台)。キハユニ26は1両だけ53が長く在籍し、84年に敦賀に転出しました。
七尾まではDE10が貨物列車を牽引していました。
急行能登路も普通列車もキハ58が主力だった様です。当時、下り1番列車は金沢発03:49でした。2本目の5:38がごく普通な始発列車の時間だと思いますが、それより1時間49分も前でした。ちなみに2022年の金沢発七尾行き始発列車は、かなり遅くなったというべきか、それともまだまだ早いというべきか、4時53分発でした。
その中で一部のキハ55は比較的遅くまで活躍していました。全国的にキハ55は83年から84年の多くが廃車となりましたが、七尾から富山に移管されたうち249は85年6月、231は86年6月廃車でした。
客車列車は朝に上り金沢行きが2本、夕方から夜に下り七尾行きと和倉温泉行きが各1本あり、81年7月から50系客車が85年3月に12系1000番台に置き換えられるまで活躍していました。
0 件のコメント:
コメントを投稿