2023年1月29日日曜日

1982年 七尾線(Nゲージ)

 もう40年以上前の七尾線です。

急行能登路は上下7本ずつで、多くは穴水で輪島方面と能登線に分割されていましたが、急行運転区間は列車によって金沢-七尾・穴水・輪島・宇出津(上り1本のみ)・珠洲・蛸島(下り1本のみ)とまちまちです。その中でも下り7号は穴水に15:59に到着すると16:03急行珠洲行き、16:05急行輪島行き、16:23普通蛸島行きと2方向に3分割されて走っていました。

ヘッドマークは愛称別トレインマーク事典様のものを家庭用プリンターで印刷して貼り付けてみました。かなりデカめでしたが、なかなか良い感じです。今後、もう少し小さく印刷してみようと思います。

当時、七尾区にはキユニ26が2両とキハユニ26が1両配置されており、写真の様にキユニとキハユニを連結した運用もあった様です。荷物の多い七尾まではキユニを連結していたという事でしょうか。

それまで使用されていたキユニ17を置き換え、76年に登場したキユニ26ですが、15は85年12月、16は86年3月に廃車になりました。2両とも元400番台です(模型は元300番台)。キハユニ26は1両だけ53が長く在籍し、84年に敦賀に転出しました。

七尾まではDE10が貨物列車を牽引していました。


その先は74年から七尾線も能登線もDD16が活躍していましたが、七尾線の穴水-輪島間は76年3月、能登線は81年11月に貨物営業廃止となっています。

DD16牽引の貨物列車にホキ800が1両連結されている写真をよく見かけます。砕石を少量出荷する駅があったのかもしれません。

急行能登路も普通列車もキハ58が主力だった様です。当時、下り1番列車は金沢発03:49でした。2本目の5:38がごく普通な始発列車の時間だと思いますが、それより1時間49分も前でした。ちなみに2022年の金沢発七尾行き始発列車は、かなり遅くなったというべきか、それともまだまだ早いというべきか、4時53分発でした。

その中で一部のキハ55は比較的遅くまで活躍していました。全国的にキハ55は83年から84年の多くが廃車となりましたが、七尾から富山に移管されたうち249は85年6月、231は86年6月廃車でした。

客車列車は朝に上り金沢行きが2本、夕方から夜に下り七尾行きと和倉温泉行きが各1本あり、81年7月から50系客車が85年3月に12系1000番台に置き換えられるまで活躍していました。


参考にさせていただいたHP・ブログ(敬称略):愛称別トレインマーク事典、下町の館-鉄道の館ーキユニ26の部屋、転轍器-古き良き時代の鉄道情景、Remember the DD16、はなぶさに集まる仲間たち、旅のあしあと、五十男の走り書き+、きはゆに資料室、鉄道四季憧憬、Rail・Artブログ、Wikipedia



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