今から50年前、1975年の標津線のイメージです。
標津線では同年4月、DD16に置き換えられるまで、C11形蒸気機関車が最後の活躍をしていました。
旅客列車は、普通列車も急行しれとこもキハ22が使われています。
1980年に中標津-根室標津間の貨物営業が廃止され、残された標茶ー中標津ー厚床間の貨物営業は1984年に廃止されました。実際に貨物列車が走っていたのは1982年までだそうです。標茶、中標津、根室標津、厚床の各駅に転車台があって、当時の画像を見るとC11はいつも正向きで運転されていました。
元々あった一般型のC11235(奥)に、C12用スノープロウを取り付けて並べてみました。171の方が塗装に若干ツヤがある様です。国鉄タイプならツヤ消しクリア塗装すべきでしょうが、下手に分解しない方が良いのでそのままです。
ターンテーブルに乗せてみました。
中標津にあった製糖工場の製品出荷用だったと思いますが、貨物列車にコンテナ貨車が連結されている画像をよく見かけます。
酪農の盛んな根釧台地なのでレムで運ぶのは牛乳だった様です。
KATOの蒸気機関車はとてもスムーズな走りで、気持ち良く運転する事が出来ます。
参考にさせていただいたHP・ブログ(敬称略):懐かしの蒸気機関車写真館、会津の自然と汽車&北信の田舎暮らし、ただいま鉄道写真スキャン中、わが国鉄時代2、D51338のほぼ蒸機ブログ “NO STEAM, NO LIFE!”、りんちゃん1957のブログ、DRFC-OB デジタル青信号、Wikipedia、その他
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