当時の阿仁合線では、下りは早朝に阿仁合発比立内行きが1本あった他はすべて鷹ノ巣発で、比立内行きが4本、阿仁合行きが日中2本と夜1本、夕方に米内沢行きが1本ありました。上りは比立内発鷹ノ巣行きが5本、阿仁合発鷹ノ巣行きが早朝1本と日中2本、米内沢発鷹ノ巣行きが夕方の鷹ノ巣発米内沢行きの折り返しで1本ありました。
貨物列車は阿仁合ー比立内間が1981年3月に廃止、残された鷹ノ巣-阿仁合間も1982年11月に廃止になりました。
夜の鷹ノ巣発阿仁合行きと早朝の阿仁合発鷹ノ巣行きの1往復のみ運転されていた客車列車は途中4駅を通過していました。
気動車は弘前区のキハ11・17・20・22が使われていたそうです。
弘前のキハ11は0番台4両、100番台8両の合計12両と多数が配置されていましたが、1979年までに廃車になっています。
キハ10は3両が配置されていましたが、1両が秋田を経て水島臨海鉄道に移籍した他、2両は1978年に遠く奈良へ転属しました。蒸気機関車末期に行われていた様に残っていた検査期間を活用する為でしょうか、2年足らずで1980年早々に廃車になりました。
参考にさせていただいたHP・ブログ(敬称略):クマさんの鉄道と環境の民俗学、懐かしい駅の風景~線路配線図と共に、DRFC OBデジタル青信号、京の彩模様++、YASUJIROのきままに撮影、おかひめの鉄道記録、その他
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