1979年10月号の時刻表と昔の雑誌記事、そして沢山の貴重なネット記事を拝見しながら、当時の五能線の列車を再現してみました。
1978年、弘前区にキハ40が配置されて五能線、黒石線、阿仁合線で活躍を始めます。
弘前にはなぜかキハ20とキハ22の両方が配置されていました。国鉄型ディーゼルカーなので、いろいろな車両が混結されているのは当たり前ですが、同じキハ20系の一般形と酷寒地形が併用されていたのはちょっと不思議です。
五能線では混合列車が走っていました。深浦駅が1980年9月に貨物扱いを終了して以降も1984年頃までは、客車列車に荷物積載用のワムやワフ1両を連結していたそうです。
電化された専用線にユニークな入換機関車がいた八森には東能代から貨物列車が入っていましたが、1983年3月末に貨物扱いが終了しています。
客車列車運用はおそらく以下の3本です。
1本目:(1日目午前)弘前-東能代ー能代ー東能代-深浦(2日目)深浦-弘前
2本目:(1日目午後)弘前ー深浦、(2日目)深浦ー東能代、東能代ー沢目、沢目ー東能代、東能代ー弘前
3本目:(1日目早朝)弘前-五所川原<回送>、五所川原-弘前
1本目と2本目は終着の深浦で機回しする事なく、翌朝の運用についていたのだと思います。
キハ11 100番台は弘前に8両配置されていましたが、1両が1978年4月に廃車になった後、残りの7両は1979年の8月末から10月初めまでに一斉に廃車になりました。
深浦と陸中八木の間を結んだ急行深浦です。 急行区間は川部-八戸間で五能線内は快速、八戸線内は普通列車でした。
深浦発のキハ22は青森で切り離し、鰺ヶ沢から連結されたキハ58が陸中八木行きです。奥羽線内で陸中八木行きは単独運転、深浦ゆきは急行むつ4号と併結でした。(驚いた事にむつ4号は大館ー秋田間で遠く宮古から山田線・花輪線経由でやってきたよねしろ3号を併結していました。)
10月6日から10日は陸奥岩崎まで延長運転されていました。当時は毎年の様に延長運転されていたそうです。
10月6日から10日には秋田-深浦間に臨時急行十二湖が走っていました。秋田-東能代間はむつ1号青森行き・よねしろ2号宮古行きに併結、五能線内は快速運転です。秋田行きは深浦ー東能代間は定期普通列車併結、奥羽線内は単独運転でした。
どうしてこの時期に急行深浦延長運転や臨時急行十二湖運転が5日間連続で行われたのか、という謎が残されましたが、非常に興味深い1979年の五能線でした。
参考にさせていただいたHP・ブログ(敬称略):懐かしの駅の風景~線路配線図と共に、相原言の「日々是好日」、遠い汽笛、津島軽便堂、ダンプロックホフ~蒸気以外の風景、鉄道中年の戯言、風来梨のブログ、ねこの撮った写真、ARC資料館、他
0 件のコメント:
コメントを投稿