1984年1月まで混合列車が走っていた釧網本線です。
1980年の時刻表で当時の客車列車を見ると、下りは網走発釧路行きが3本と夕方に網走発弟子屈行きが1本、上りは弟子屈始発の網走行きが1本と釧路発網走行きが2本、そして夕方に釧路発斜里行きが1本走っており、こちらは翌朝、斜里発網走行き1番列車となっていました。いずれも混合列車の設定だった様ですが、客車だけの時もあった様です。
DE10はボンネットの長い方が釧路向きでスユニは一番釧路寄りに連結されていました。貨車は常に機関車と客車の間に連結されていた為、温気式暖房機が設置された客車が使用されていました。
また混合列車の他に貨物列車も設定されていました。この辺りはMonocromeの北海道1966-1996に詳しく解説されています。弟子屈-緑間は最急勾配が25‰なので、機関車牽引列車には補機が付きましたが、全線通しで重連だった列車もあった様です。
急行列車は、全線を走る”しれとこ”と”大雪”を合わせると3往復、それに釧路から標津標津行きの”しれとこ”を併結したりして結構複雑です。札幌や旭川からの”大雪”はキハ56が使われていたのだと思いますが、線内運転と標津線乗り入れの”しれとこ”は一般形気動車が使われていた様です。
全線を通しで走る気動車列車は釧路発1番列車の網走行きとその折り返し、網走発釧路行き1往復だけでした。1エンジン車だけで途中の25‰勾配を走破していた様です。
ただいま鉄道写真スキャン中様のブログやてんぽく(2k)様のTwitterを始め、沢山のネット記事を参考にさせていただきました。
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