2025年7月11日金曜日

D51320(Nゲージ)秋~春姿

夏姿にしようとD51標準型先台車に交換したD51320ですが、よく見たらフロントデッキのステップが無くなっています。もしかしてパーツを無くしたかと思いましたが、元々スノープロウと一体成型になっていました。

工夫してステップを取り付けるという無駄な努力で泥沼に嵌る事を避けて、先台車を元に戻してオリジナルのスノープロウを取り付けておきました。何やっているんだろうな、という感じです。


2025年7月10日木曜日

D51320(Nゲージ)現役時 夏姿

 D51320、KATO北海道型のお手軽加工です。

まずナンバー選定からです。付属ナンバーのうち、397は煙室扉ハンドルがスリーポインテッドスター型なのでアウト、467はキャブが密封型でないので除外すると、形態が合っているのは320か710のいずれかになります。

散々迷った挙句、今日の日付=何かの縁だろうと思って710号機にしようと思いましたが、もう一度、画像検索してみると710号機は前面のナンバープレートがやや低い位置に取り付けられている事に気付きました。もう320号機しかありません。

保存されている320号機は現在、十字型の煙室扉ハンドルが付いていますが、現役時は模型と同じ丸形ハンドルだった様です。

夏姿を再現する為に、最近発売された標準型ASSYの先台車に交換します。

ネジ2本で動輪押さえ板を外します。

左が排障器が付いた標準型の先台車、右が元々の北海道型の先台車です。

少しひねって元の先台車を外した後、新しい先台車に交換します。どこかに飛んでいかない様にコイルバネを慎重にピンセットで取り付けました。

パーツを紛失する事なく、なんとか取り付ける事が出来ました。

320号機のナンバープレートを取り付けます。

320号機の炭水車のヘッドライト位置は模型通りで良い様です。

どちらかというと夏っぽいレイアウト風景なので、軽快なスノープロウ無しの姿が良い感じです。

蒸気機関車は軸数が多いので、慎重にリレーラーを使って線路に載せました。

期待通り、滑る様に走り出してくれて大満足です。こんなに小さな模型ですが、素晴らしい技術です。

参考にさせていただいたHP・ブログ(敬称略):OIWAKE STEAM BASE、煙の記憶、遠い汽笛、その他多数



2025年7月7日月曜日

1994年 磐越西線(Nゲージ)重連貨物列車

 JRになってから磐越西線電化区間ではセメント貨車とコンテナ貨車を併結した貨物列車が見られました。

広田までのセメント車と会津若松までのコンテナ車だった様です。

1993年にED77が撤退した後はED75重連の牽引で、1996年3月に会津若松駅の貨物取扱が廃止されるまで走っていました。

いろいろな画像を拝見させていただくと、おそらく磐越西線はコキ5500限定運用だったのではないかと思います。(模型は2両のみ在籍です。)

1998年頃はED75重連牽引のセメント貨物列車が走っていましたが、1993年頃にはDD51重連が電化区間のセメント貨物列車を牽いていたそうです。

大越から広田と塩川に向かっていた貨物でしたが、会津若松のコンテナ列車が廃止されて運用に余裕が出来たED75重連がDD51重連を置き換えたのかも知れません。

もう30年以上前の風景です。

参考にさせていただいたHP・ブログ(敬称略):新yoshiのデジカメ&ネガ写真集、Kano鉄道局、かわゆの撮り鉄写真館、鶴君の機関車観?(館?)、ショッポーon X、鉄暮らし雑録(発見の手帳)、急行越前の鉄の話、confunkchan  on X、Wikipedia、その他

2025年7月4日金曜日

1996年 磐越西線(Nゲージ)重連貨物列車 その1

 ED77からED75に置き換えられた磐越西線重連貨物列車です。


大越から広田・塩川に送られていたセメント列車は1998年11月まで運転されていたそうです。

先頭のED75 131はM-13モーター搭載ですが、2両目のED75 1033はM-9モーター動力です。

但し、ED75 1033はゴムタイヤレス仕様にしてあるので、重連は特に問題無いかと思ったら、

最初の1周目に奥の交換駅のポイントで脱線しました。モーターの相性ではなく、ポイントの集電(通電)不良が原因だった様です。点検ピットを開けるのが面倒だったので、ちょっと手荒い取り扱いですが、脱線機関車をマジックハンドで回収しました。再チャレンジしたところ、重連2周目は問題なく走りました。

455系東北色セットBを久しぶりに出して来ました。455系は小型シールドビームのこの色が一番気に入っています。

1996年から赤白グレーの磐越西線色に塗り替えられたそうです。

参考にさせていただいたHP・ブログ(敬称略):重単5175、機関車屋日和、Youtube有栖川のミニィ、国鉄型主義、その他

2025年7月3日木曜日

ED75 1033(Nゲージ)

ED75 700番台の動力を生かすのに丁度良い、ED75 1000後期型のボディーとナンバーのバラ部品を入手しました。


しかし1000番台のスカートに付いている電話回線用のジャンパー線受けがありません。

床下の機器類もおそらく違うのではないかという気がしてきました。動力パーツの有効活用をしようとしたばかりに一体何してんだろうな、という気がちょっとしています。


2025年7月1日火曜日

2005年磐越西線(Nゲージ)迂回紙輸送列車

2004年10月に起きた新潟中越地震で信越本線、上越線が不通となり、2004年11月から2005年3月まで磐越西線で運転された迂回紙輸送列車です。

隅田川-焼島間で運転され、下りの黒磯から会津若松までの間はED75が牽引しました。

20年前の事ですが、今もネット上でたくさんの貴重な記録を見る事が出来ます。

会津若松-新潟貨物ターミナル間はDD51牽引でした。

機関車が足りない為に鷲別から応援に来たDD51 1166は青更新色であまり人気がなかったそうで、やはりDD51はオリジナルの塗色が一番です。

非電化区間の紙輸送迂回列車は通常のセメント列車のダイヤを使って運転され、その代わりにセメント列車は「ばんえつ物語号」のスジで運転されました。


ファンからはちょっと笑ってしまう「セメント物語号」というあだ名をつけられていたそうです。

貨物列車だけでなく、沢山の臨時旅客列車も運転されました。八戸や秋田からキハ40が応援に駆け付け、会津若松のキハ40と共に活躍したそうです。

参考にさせていただいたHP・ブログ(敬称略):TRAIN SQUARE(模型と実車)、荒野の素浪人の徒然日記、気ままに撮り歩き館、DDパラダイスプレゼンツD-RHAPSODY☆、湯島のともonX、鉄橋のある鉄道風景のblog、ホームページにいにい、youtube 北の風、Diesel Power☆ 内燃機関車の咆哮 ☆、その他

2025年6月30日月曜日

ワム380000(Nゲージ)増備

 中古ショップでトミックスワム380000が1両ずつポリ袋に詰められ、1個¥500で山盛りになって販売されていました。元々青いワム8は1両だけ在籍していたのですが、10両編成が組める様に追加で9両購入しました。お店の方が車番の違うものを選んでくれました。

ブレーキてこ用のステップが曲がっているものもありましたが、指で戻しておきました。

KATOカプラーに交換されている様でしたが、よく見たら付いていたのはKATOカプラーでなくてTNカプラーです。

TNカプラーは連結時の嚙み合わせがしっかりしていて、軽い貨車は連結と解放がちょっと面倒です。カプラーパーツJC0310を用意してアーノルドカプラー仕様に戻しました。

すべてアーノルドカプラーにデチューン?したので、茶色のワム80000との混結もOKです。


1両だけ、取付足を切り取ったKATOの反射板をゴム系接着剤で取り付けておきました。