2021年9月30日木曜日

1985年 紀勢東線(Nゲージ)

 画像検索したところ、南紀の絵入りヘッドマーク登場は比較的遅かった様です。1986年、まだ側面にJNRがあるものの既にJRアンテナが装備された状態で、絵入りヘッドマークが取り付けられた写真を拝見する事が出来ました。

ワム80000の貨物列車は1994年にコンテナ化されるまで走っていたそうです。DD51重連で新宮まで行き、その後紀伊佐野編成と鵜殿編成に分割して運転していたそうです。

普通列車です。

JR化前後にはキハ58、キハ35(30)、キハ47(40)が使われていた様です。

亀山-新宮間の50系客車が活躍していた期間は僅かだった様です。鉄道ピクトリアルNo.785 50系客車特集を見ても運行されていた期間が分かりませんでしたが、ネット上で交野ケ原道草様のブログ記事を見つけました。1985年3月から1986年10月までの約1年半活躍だったそうです。

画像検索でスユニが連結されている姿も見かけましたが、スユニだけ早めに引退していたかも知れません。

1985年には新宮-多気間にはもう急行列車は走っていなかった様です。多気-亀山間には参宮線直通の急行志摩が2往復だけ走っていました。




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