2023年12月30日土曜日

1980年 名松線(Nゲージ)

<再編集>

 1980年頃に名松線を走っていた気動車列車を再現してみました。

当時の名松線は松阪-伊勢奥津間を1日8往復。区間列車はなく全線を1時間15分から1時間20分かけて走っていました。夜間には2列車が伊勢奥津に滞泊していた様です。

普段は2両編成で、伊勢奥津寄りに2エンジン車(正面幌無し)、松阪寄りに1エンジン車が連結されている姿が多く見られます。名松線は路線距離43.5kmの間に海抜5メートルの松阪駅から270メートル近い伊勢奥津まで登っていました。

写真はキハ55とキハ30の組み合わせです。トミックスのキハ55は雨樋の赤い線をシンナーを浸した綿棒で擦って消しました。車体成型色がクリームなのもあって、まずまずきれいに拭き取る事が出来ました。2灯式のシールドビームは銀河モデルのパーツです。

亀山区のキハ55は1982年から83年に廃車になりましたが、キハ55 257だけは1984年まで活躍したそうです。こちらはキハ40 2000番台との組み合わせですが、亀山や伊勢には1979年から1980年に結構な両数のキハ40が配置されました。

こちらはキハ53とキハ30の組み合わせです。亀山区にはキハ53の4と5が1967年に新製配置され、その後、七尾から転属してきた3と共に3両が1984年に伊勢区に転属、1986年に再び亀山区に戻り、JR化後の1990年に富山を経由して小浜鉄道部に移りました。亀山区のキハ53は電化前の片町線で活躍していた事もある様です。

キハ58とキハ30の組み合わせです。1980年代になるとこの辺りのキハ58は殆ど冷房取り付け車だった様です。民営化以降は(あるいはそれ以前から?)伊勢区の担当になりました。JR東海さんには、いつか美濃太田のキハ58 787とキハ30 51を復活させて名松線で走らせて欲しいと思っていたのですが、リニアにお金がかかって、おそらくもう可能性ゼロかも知れません。

キハ58とキハ40の組み合わせです。1982年の台風被害で伊勢奥津に長期留置されていた画像をネット上で拝見する事が出来ました。

1989年以降は残念ながらキハ11のみの運用になってしまいました。現在はステンレス車体のキハ11 300番台が活躍していますが、検査等の関係でたまにキハ25が代走する事がある様です。

参考にさせていただいたHP・ブログ(敬称略):DISCOVER→JAPAN、風来梨のブログ、歩王のLet‘sらGo!、昭和の鉄道員ブログ、時の鉄路、きはゆに資料室、その他

(公開2021年7月/再編集2023年12月)


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