1970年代の紀勢本線を再現するのに欠かせないDF50です。
最後尾にスユニ50を繋げておきましたが、DF50活躍当時は茶色いスユニ60とマニ60を連結していた様です。
ネット上での評判通り、製品付属のナンバーインレタにはまったく歯が立たず使用できなかったので、レボリューションファクトリーのインレタ495を使用しました。
紀勢本線で活躍していた車番にしようと思って調べてみたところ、テールライト脇の手すりがKATO製同様に大型タイプのナンバーは23・24・49・54・57・58・59・63・64の9両でした(53は貫通扉にHゴムが無く、62は貫通路脇の手すりが大型タイプなので使用不可です)。数字を組み合わせて車番を作る気力が湧かなかったので、インレタに収録されていた”DF50 59”にしました。
屋根はエアブラシでうっすらと汚しておきました。
部品を飛ばさない様に気を付けていたのですが、モニター窓のHゴムパーツをひとつ、塗装の為に外す際に飛ばしてしまいました。無事発見した時にはほっとしました。
しかしながら、車体を組み直している際に飛ばしてしまった片側のヘッドライトレンズは見つける事が出来ませんでした。リトルジャパンのクモハ40の残りライトレンズがちょっと飛び出し気味ですがなんとか合いましたので、とりあえず嵌めてあります。
実物のDF50 59は亀山から高松に移って1983年まで活躍したそうです。画像はなんとなく土讃線っぽい雰囲気です。
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