車番を決める為に、俄かキハ12研究家になって、ネット上でいろいろ調べてみました。
キハ12 1、2、3と22はタイフォンが尾灯脇に移設されていました。1から3は単線用スノープロウで、最終配置は1と3が北見、2が深川です。 最終配置苗穂だった22は複線用スノープロウ装備で出入台角型ベンチレーターが撤去されていました。1から3と22は、いずれもタイフォン移設の他に前面ナンバー表記有りなので、画像確認出来なかった最終配置苗穂の14と深川の21を含めて、苗穂工場仕様だったのではないかと想像しています。
キハ12 3から13までと15から20までは最終配置が池田です。後年はほとんどの車両が出入台上角型ベンチレーターを撤去されていた様です。(7は1975年の写真では付いていますが、後に撤去されていました。)朱色5号化されていたのが確認出来るのは6,7、18。単線用スノープロウ付は4、7。それ以外で画像が確認出来た5,6,8、15、16、19は複線用スノープロウ付でした。屋根上のタイフォンカバーが残されていた池田配置車は釧路工場仕様だったのだろうと思っています。
それでもって最初はキハ12 6と7にしようかと思ったのですが、1桁ナンバー連番だとなんかいまいちだなぁ、と思って、1両は朱色5号化されていた事しか分からない18にしました。
参考にさせていただいたHP・ブログ(敬称略):P-MAX on Twitter、鉄道写真家岩堀春夫のblog2、バス、鉄道、車、船・・・、ただいま鉄道写真スキャン中、鉄道ホビダス、思い出鉄道探検団、70's Railways、水曜鉄どうでしょう、横さんの士幌線写真館、きはゆに資料室 その他
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