2024年5月18日土曜日

1972年~1973年 明知線(Nゲージ)

 明知線です。C12導入を機に、改めてネット上の貴重な記録を沢山拝見させていただきました。

終点明知駅やシーナリーガイドに紹介されていた山岡駅を始めとした、模型で再現してみたい魅力的な鉄道風景の中をC12が貨物列車を牽いて走っていました。

33.3‰の急勾配でC12は換算11両までしか牽引出来ず、1971年4月のダイヤでは2往復の貨物列車が設定されていました。ディーゼルカーは2エンジンのキハ52です。

キハ52は美濃太田配置中津川機関区常駐のキハ52形6両が明知線専用でした。それ以前には1エンジンのキハ07が使用されていましたが、エンジンを唸らせながら超低速で坂を登っていたのでしょう。

朝夕に走っていた中津川直通列車(夕方:明知行き、朝:中津川行き)はキハ20を1両増結した3両編成だったそうです。後年の時刻表を見ながら考えてみると、キハ52×2両編成の車両交換の為には、朝の中津川行きはキハ20×1両のみ直通で、恵那の15分停車の間に別のキハ52×2両編成に繋ぎ替えていたのではないかと想像しますが、さてどうだったのでしょうか。

C12は中津川機関区所属で、末期には前後にトラ塗りの警戒色を入れられたものが多かった様です。中津川駅構内の入換は1973年7月から美濃大田区所属のDD16に置き換えられ、同10月に明知線貨物列車もDD16に置き換えられました。貨物列車はその後、1981年2月1日付けで廃止になります。

1980年頃の明知線はこちらです。⇒明知線 1980年

参考にさせていただいたHP・ブログ・その他(敬称略):津島軽便堂写真館、6・25鉄道趣味工房、レールは続く、しゅうちゃんのお出かけ日記、昭和の鉄道員ブログ、ロコのページ、Remember the DD16、現役蒸気機関車写真館、レールメカノス、鉄道ピクトリアル国鉄ローカル線1960-1970、Wikipedia、その他

2024年5月16日木曜日

ワム50008(Nゲージ)整備

 楽しい鉄道模型旅は最近、蒸気機関車、客車、貨車が活躍していた1970年代に迷い込んでいますが、羽目板側板の有蓋車ワム50000も1両位あった方が良いと思って導入しました。TOMIX製、2013年発売だったそうです。側板が合板張りに改造されたタイプも同時に発売されていたそうで、間違えてそちらを購入しなくて良かったと思います。


いつも通り、ブレーキテコ周りに白を入れ、スーパーライトウェザリング仕上げにしました。側ブレーキ位置を示す妻面の白い2本線は細くカットした白いシールを貼ったのですが、ちょっとデカかったかなぁ、と思います。実物は1985年までに全車が廃車されました。
参考にさせていただいたHP・その他(敬称略):トミックスHP、Wikipedia、その他

2024年5月14日火曜日

1972年~1974年 高森線(Nゲージ)

 C12が活躍していた高森線です。

1972年から1973年頃は1日6往復。C12牽引の客車列車4往復と気動車2往復で、客車列車のうち1往復が混合列車でした。

貨物が多い時には下り最終列車を牽いてきたC12を高森から立野まで回送し、その後に立野から高森へ向かう臨時貨物列車が設定されていた様です。

高森に滞泊する下り最終列車と上り始発列車は熊本直通で客車4両編成でした。


C12は熊本から豊肥本線貨物列車最後尾に連結して回送されていたそうですが、DL置き換え前には単機回送になっていた様です。
9600は北海道型で代用です。

模型は煙がないので写真を見ても進行方向か分かりません。

1974年に客車列車はすべてディーゼルカーになり、混合列車は廃止されました。


C12は1日1往復の貨物列車を牽く様になります。


やがて1974年6~7月頃から後継のDD16との協調試運転が始まりました。

置き換えは1975年3月ですが、熊本に有火のC12が1両しか残っていなかった為、それ以前からDD16が単独で運用に入る事もあった様です。

参考にさせていただいたHP・ブログ(敬称略):故き良き感動を求めて・・・汽車プラスバス、TrainView鉄道写真集since2010、D51338の ほぼ蒸機ブログ “NO STEAM, NO LIFE!”、転轍器、SL現役の頃-そしてその後、マイナビニュース-昭和の残像 鉄道懐古写真、鉄道写真1973~1982、KLB嵐山・みけねこのブログ、Hello, this is Yos. / 線路端二居リマス、Remember the DD16、mr.slim の PHOTO BLOG、ロコのページ、「はなぶさ」に集まる仲間たち、会津の自然と汽車 & 北信の田舎暮らし、その他

2024年5月12日日曜日

オハフ45 25(Nゲージ)

オハフ45 25です。


スユニ60目当てで入手したKATO旧型客車4両セット(茶)に入っているオハフ45 17は、茶色いボディーにグレーの塗り屋根がなかなか格好良いのですが、ネットで調べてみると、オハフ45 0番台はおそらく1966年までに近代化改造されて青15号に塗り替えられている様で、茶色時代は相当昔の姿です。1979年の記録ではオハフ45はすべて青色でした。

茶色のままにするか、青く塗り替えるか、しばらく迷っていました。茶色のままでは他の客車と時代設定が合いません。一方、手間をかけて青に塗り替えてもKATOから単品発売されていたものと変わらないので面白くありません。画像検索していると製造両数が少ない割には貴重な記録が多数残されていますが、その中で見つけた25番=青15号・アルミサッシバージョンにする事に決めました。

分解してみるとトイレ窓は別パーツになっています。まずは一旦、茶色をシンナーで落としました(左)。

小さなパーツなので手塗りで済ます事も考えましたが、白部分に約0.6x3.7mm、約2.6x3.7mmにカットしたマスキングテープを貼って吹き付け塗装したところ、意外に上手くいきました。

いつも通り、最初は縦枠を塗装して、

次に横枠を塗りました。

屋根、床下、台車はいつも通りのライト・ウェザリング仕上げ、シートパーツは青15号塗りです。

オハフ45の22からラストナンバー25番までは電暖化されずに九州で活躍したそうです。当方、2歳の時に急行雲仙に乗った事がある筈なのですが(もちろん何も覚えていませんが)、それも今回、オハフ45を九州仕様にした理由のひとつです。

参考にさせていただいたHP・ブログ(敬称略):客車列車の旅/客車資料館、客車だった頃-山陰本線/一般型客車資料館、急行越前の鉄の話、気まぐれ更新の記録、ERWのブログ/ERWの鉄道ブログ、くる~りワンマン写真館、転轍器 古き良き時代の鉄道情景、J鉄局の鉄道ブログ、ARC資料館、その他


 

2024年5月10日金曜日

1965年~1972年 川俣線(Nゲージ)

 その姿に惹かれて多くの方々が模型で再現している、C12がスハニ35と貨車を牽く川俣線の混合列車です。保育社カラーブックス”蒸気機関車”に掲載されていた「秋祭りの太鼓の音が聞こえてくる昼下り・・・・・・」とのキャプションが付いた廣田尚敬氏の叙情的なカラー写真。その完全コピー(というと大袈裟ですが)を目指しました。

中学生の頃にボロボロになるまで読んだ”シーナリーガイド”の川正線の記事から長い月日を経て、カトー製C12再生産2回目にして、ようやく川俣線の世界に辿り着きました。

川俣線が分岐していた松川駅は東北本線の福島駅から南に3駅目。日中の客車列車はスハニやオハニ1両のみ、牽引するC12は福島駅から毎日回送されてきたそうです。

朝夕は3両編成だったそうですが、増結用の客車は1日のうち殆どを松川駅構内に留置されて過ごしていたのでしょうか、それとも福島まで回送されていたのでしょうか。

スクラップブックの切り抜き写真にはC12がオハニ61を1両だけ牽いている写真もありました。


川俣線は1966年10月に気動車化されています。郡山に1両だけ配置されていたキハ22がキハ52と組んで活躍する姿を、複数のネット記事や雑誌記事で見る事が出来ました。

貨車牽引の為に2両編成のディーゼルカーのうち1両は2エンジン車のキハ52やキハ58が使用されていた様です。

カプラーアダプターの出番です。


貨物輸送は1972年5月の廃止まで行われていた様で、最終日午前中の岩代川俣発の列車にも貨車が連結されていました。

鉄道廃止後の国鉄バス川俣線はその後長年に亘って運行され、JRバス東北に引き継がれたものの、利用者減によって2005年に自治体運行のバスに置き換えられたそうです。

参考にさせていただいたHP・ブログ・他(敬称略):cavacho☆彡“きゃばちょこ”です。、「お気楽鉄ちゃんの館」へようこそ!!、南風・しまんと・剣山 ちょこっと・・・、DRFC-OB デジタル青信号、乗り物ニュースプレミアムnote支部、NHKアーカイブス、Wikipedia、かめかめブログ、カフェドラグーン、その他


2024年5月8日水曜日

ワム12157(Nゲージ)

 板張りの側板を持ったワム3500です。今回、調べてみるまで形式名も知りませんでした。長軸のワム3500に対して、短軸で少し車幅が狭いワム1があったそうですが、見た目はそっくりです。

トミックスの国鉄北海道貨物列車(黄帯車)セットに入っている木造貨車です。車番からだと形式名が分かりづらいのですがワム3500で良い様です。実物は1970年には姿を消したそうですが、京都鉄道博物館にワム7055が保存されている他、全部で4両現存するそうです。

黄色帯を巻かれてロ記号を付けられる前の姿にしようと思い、細かい表記類は消えない様にセロテープでカバーしながら、黄色帯と車番をシンナーを付けた綿棒で消しました。

手持ちのインレタで車番を入れ直しました。(番号はワフ12100の残りを使いました。)


インレタが剥がれない様に一旦つや消しクリアを吹き付けた後、軽くウェザリングしてから改めてつや消しクリア仕上げにしました。


参考にさせていただいたHP(敬称略):Wikipedia、トミーテックHP、ノーブルジョーカーのホームページ、里山工房、鉄道写真と資料の本棚、こてはし鉄道日記、汽車電車1971~、輝かしき鉄道の記録、鉄道省半田鉄道局、その他

2024年5月6日月曜日

スハニ35 12(Nゲージ)

 スハニ35です。先日入線したC12に牽かせる為に整備しました。

入手したKATO製品は、側窓下に三等表記「Ⅲ」が付いて、所属区表記が車体中央ナンバー上にあります。調べてみるとこれは1959年(昭和34年)以前の姿で、車体色もおそらく茶色1号の様です。

慎重にばらしました。古い設計のKATO製品はバラすのが知恵の輪の様に難しく、取り付け爪が折れたり、後から上手く嵌らなくなったりします。窓ガラスを外すのも硬くて割ってしまわないか心配になる位でした。
台車を外す際に取り付けピンの先の爪が折れてしまったのですが、鉄コレのもので代用出来たので助かりました。

シートパーツは仕切り板のみマスキングして青15号を吹き付けておきます。車掌室の椅子は後方監視窓に背を向けた方向になっていました。

表記類を消してから茶色2号を塗り、インレタを入れ直して、つや消しクリア仕上げにします。

テールライトは点灯しません。貫通路扉の窓が入っていないので透明プラバンを接着しておきました。

各地の特急・急行運用を退いてからは、高崎周辺から両毛線や水戸線、日中線や川俣線等のローカル輸送や、観光団体専用列車として活躍したそうですが、1970年にはすべて引退し、マニ36に改造されたり救援車になったりしたそうです。

参考にさせていただいたHP・ブログ(敬称略):エヌゲ道 since 2015~Nゲージ鉄道模型とフィギュアとか何たら~、鉄道模型のページへようこそ!、鉄道模型FAN、Wester Wiese、客車列車の旅 倶楽部メモ、DRFC-OB デジタル青信号、急行越前の鉄の話、おざようonX、てつの鉄道模型のWWW、どりこのonX、その他